10月12日北陸遠征・その4(富山県氷見市)2009年10月22日 22時33分07秒

阿尾城の本丸手前の堀切
【阿尾城】

高岡城を散策した後は高岡市を後にし、隣の氷見市へと移動した。本当は時間的に高岡市で昼食を食べる予定だったが、急に『氷見うどん』が食べたくなったからである。

氷見の港町に着いた頃にはすっかり昼食には遅すぎる時間になっており、港の食堂等は既に営業時間を終えている所もあったが、道の駅の近くでなんとか氷見うどんをやっている店を見つけて食事にありつくことが出来た。

食事を終えた後は港から少し北上した場所にある阿尾城を見に向った。阿尾城は海に突出た丘陵にあるために港からも良く見え、海に浮かぶその白い断崖はなかなか印象的な光景だった。

阿尾城の始まりは定かではないが、後に菊池氏の居城となり、菊池氏は主を上杉氏、佐々氏、前田氏と替えて各時代を生き抜いている。この佐々氏から前田氏に乗り換えた時に、城は佐々氏の家臣の神保氏張によって攻められるが、城代として前田家から派遣されていた前田慶次郎と、援軍の村井長頼の奮戦により佐々軍を見事退けたという。

独立丘陵の北側に神社の参道があり、ここから城跡へと登ったが、登った先の谷のような場所が三の丸跡で、何やらシャッターの閉まった倉庫のような建物があるが地図によれば御輿の資料館だという。谷間からとりあえず西側の崎に登るがここには榊葉乎布神社の社殿があり、眺めもなかなか良かった。

西側の崎から再び谷間に戻り逆の丘に登るとこっちには白峰神社があった。白峰神社から南側には数段に渡って郭跡が作られており、説明板によればここが二の丸だという。二の丸からは本丸に行く道が無いため不思議に思ったが、良く見ると神社の社殿の裏に道が続いており、神社の裏を登った先には白峰神社の本殿跡があった。ここが城跡で最も高い場所なので恐らく見張り台などがあったのだろう。

神社跡からさらに奥に進むと非常に狭い道が続き、途中で堀切も見られたが、道を抜けた先は急に視界が広がり岬の東端部の本丸跡へ出た。本丸跡は予想以上に広く北側が高い二段構成になっているが、ここにある展望台からの眺めもなかなか良かった。強いて言えば本丸周囲の木々が高いので、もう少し高さがあったほうが絶景だったろうと思う。

阿尾城から再び氷見の街に戻った後は、さすがに日が落ちる時間なので散策を切り上げ、本日の宿がある富山市内まで戻った。