11月22日九州紅葉の旅・その1(宮崎県綾町)【綾城】 ― 2014年12月01日 00時52分53秒
11月後半の三連休は久しぶりに暇が出来たため、秋を求めて九州へと出かけて来た。今年も引き続き忙しい日々が続いたため、秋を満喫する間も無くあっというまに関東も東北も落葉してしまったため、それならいっそと秋真っ最中の九州に飛んだわけである。
初日は空路で宮崎入りし、宮崎市街の紅葉はまだ微妙だったので、山側へ向かった場所にある綾町へと向かった。もちろんこの場所にある中世の城である綾城が目当てである。
初日は空路で宮崎入りし、宮崎市街の紅葉はまだ微妙だったので、山側へ向かった場所にある綾町へと向かった。もちろんこの場所にある中世の城である綾城が目当てである。

綾城へ向かう途中に大きな鳥居があり、その鳥居の側に銀杏の木があったのだが、残念ながら黄葉が終わって落葉が始まっている感じだった。画像はその銀杏の木越しに綾城を望んだ景色。

綾城のある台地へと登る道は車道くらいしか見当たらなかったので、その車道を登って向かったが、おそらく画像の道は堀切跡を拡張して車道を通したものだろう。画像右側が三の郭で、左側が四の郭である。

三の郭から主郭までの一帯は有料区画となっており、入口には冠木門風のゲートがある。ゲートの看板に「綾城」「国際クラフトの城」とあるが、後者は二の郭跡に建てられた工芸館のことである。ちなみに画像とは逆の四の郭の方は駐車場と民家となっている。

三の郭は冠木門だったが、二の郭の入口は薬医門が建てられており、模擬城門とは言えなかなか凝った造りになっているのには感心させられた。まぁ、伊東氏の家臣の綾氏の居城にしては少し重厚すぎる気もするが・・・。

綾城跡にはとにかく堀切と土塁がよく残っており、前述の三の郭と四の郭間は車道で破壊されているものの、他の郭の間にはしっかり画像のような堀と堀に面した土塁を見ることができた。

二の郭内には「国際クラフトの城」と呼称する工芸館があるが、その工芸館の隣には地味に昔の学校の建物を移築した記念館があった。城跡とは関係無い建物ではあるが、それでも赤ポストも含めてなかなか味のある景観だった。なお、二の郭跡には井戸の遺構がしっかり残っていた。

二の郭跡の国際クラフトの城の前を右に曲がりさらに奥に進むと堀切を渡った先の主郭に辿り着くが、ここに麓から見た望楼型天守閣が建てられている。もちろん綾城にこのような建物があった記録は無いため、これも模擬建造物なわけであるが、建造には日本城郭協会の人が携わったらしく、かなり本格的な木造の建物となっていた。模擬建造物でこれほど本格的で驚かされたのは伊賀上野城以来である。

天守閣内部は資料館となっており、地形模型などもあってなかなか参考になったが、やはり見所は最上階からの展望であた。ここからは綾の街がある盆地が一望でき、まさに領主の居城に相応しい眺めであった。
綾城散策は想像していたよりも楽しめたのだが、当初の目的である紅葉はほとんど見られなかったため見込みが甘かったことを痛感させられた。
11月23日九州紅葉の旅・その2(熊本県人吉市)【人吉城下町】 ― 2014年12月01日 23時31分19秒
初日は綾町と宮崎市内を散策し、夕方に加久藤盆地に移動して京町温泉に泊まった。そして2日目は日本三大車窓の肥薩線矢岳越えを通り、人吉盆地へと移動した。実は途中の車窓から霧の海に沈む加久藤盆地と遠くに聳える霧島連峰というなかなか幻想的な風景を見ることができたのだが、初めてで事前知識が無く、かつ移動中の車内だったため上手く写真に残すことが出来なかった。

人吉駅に到着して駅を出ると、駅前には城下町らしい洒落た時計台があった。地味に人吉城のはねだし石垣をリスペクトしてるのが面白い。

城下町から球磨川を渡って南岸の武家屋敷のある方面を目指したが、橋を渡る途中で球磨川に大きな中州があるのが見えた。後で資料館に寄った時に判ったことだが、この中州は江戸時代の絵図にも見えており、当時の城下町と城を繋ぐ橋が架けられていた。なお、その橋は西南戦争で焼失している。

球磨川南岸に渡りまず向かったのが永国寺で、西南戦争では西郷隆盛の本陣がここに置かれていたという。寺は観光客にも開放されており、奥の庭園が見える部屋まで中に入れるとの誘導もあったので、せっかくなのでお邪魔することにした。

正直なところ予定には無かった寄道だったが、寺の裏にある庭園の池の周りの木々はちょうど紅葉しており、なかなか見事な景色を見ることができたのは良い収穫だった。

寺の山門からまっすぐ伸びる道の先にある山が人吉城で、その手前に広がるのがかつて武家屋敷が立ち並んでいた一帯である。

その道の中間あたりにあるのが現在唯一残る武家屋敷で、その屋敷の門は人吉城の堀合門を移築したものだという。つまり、この門が人吉城の唯一の現存建造物ということにもなる。余談になるが、この屋敷の前にはデカイ総合病院があり、景観的に両者は真逆で合わないため、これは地味に衝撃的な光景であった。

武家屋敷からさらに東へ移動すると胸川に辿り着くが、ここより先が人吉城跡の縄張りであり、画像の対岸に見える石垣が大手口の跡である。
11月23日九州紅葉の旅・その3(熊本県人吉市)【人吉城】 ― 2014年12月02日 23時28分57秒
街から胸川に架かる大手橋を渡った先は人吉城の城内であり、この日のメインの目的地であった。

橋からは川岸に聳える石垣と復元された多聞櫓がハッキリ見えるため、城跡に来たことが実感できて気分が高鳴るには十分だった。ちなみに多聞櫓の中に入ることもでき、中には祭用と思われる甲冑や、釜の遺物、ジオラマ等が展示されていた。

復元されているのは多聞櫓だけではなく、北西隅には角櫓も復元されていた。ただし、こちらの方は多聞櫓と違って内部は開放されていなかった。

城内の相良清兵衛屋敷跡には歴史館が建てられており、中には人吉城と相良氏関連の展示があってなかなか興味深かったが、中でも目を引いたのは相良清兵衛屋敷の地下室遺構で、用途が謎なのも気になったが、思ったより広いのもまた印象深い遺構だった。

城内の平地はかつて一族重臣の屋敷があった場所だが、山に隣接する麓には城主の御殿があり、今もその御殿の周囲には石垣が良く残っていた。南側には水堀も残っており、この周辺の木々はちょうど紅葉して綺麗だった。

御殿跡は今は神社となって御殿関連の建物は残っていないが、唯一庭園だけが当時の景観を今に残していた。庭園では水面に写る紅葉がなかなか良かった。

御殿跡からは三の丸へと登る山道と階段があったが、これは恐らく現代に造られたものだろう。その階段を登った先にある三の丸はなかなか広々としており、山の上とは思えないほどだった。画像手前は於津賀神社があった場所で、奥の石垣の上が三の丸、左奥のさらに高い場所が二の丸。

二の丸へと登る途中にある「中の御門」の枡形はまさに近世城郭といった造りで、けっこう見ごたえがあった。

二の丸からさらに小さな階段を登った先の山頂が本丸跡で、石垣でしっかり固めている二の丸、三の丸と違って自然地形のままで雑な感じだが、当時は祈祷などに使用したとされる宗教関連施設があっただけの場所だったという。ちなみに最高所ではあるが展望は悪く、二の丸か三の丸から見る城下の景色の方が良かった。

帰りは御下門から続く山道から下山したが、この道中に椛が密集しており、なかなか見事な紅葉が見られた。

御下門の周辺の麓一帯にも紅葉した木々が連なっており、この辺りの紅葉の景色もなかなか素晴らしいものがあった。

武家屋敷に移築された堀合門は元々城内にあったもので、今は元あった位置に堀合門を複製した城門が建てられていた。

なお、堀合門の隣では「はねだし石垣」を見ることもできた。なお、この付近には船で出入りするための「水の手門跡」もあるため、人吉城では重要な見所スポットだと言える。
11月23日九州紅葉の旅・その4(熊本県あさぎり町)【上村城】 ― 2014年12月04日 23時09分30秒
人吉城を散策後は一旦町で昼食をとり、その後くま川鉄道に乗って「あさぎり駅」へと移動した。「あさぎり駅」からはレンタサイクルを借りて南へと移動し、上村地区へと向かった。目的地は「麓城」と呼ばれている上村氏の居城の上村城跡である。

とりあえず、城下町があった場所に白髪神社があるのでそれを目指して移動したが、近くまで着てみたら画像のようになんとも判り易い冠木門のオブジェがあった。この先が麓馬場通りで、かつては武家屋敷が立ち並んでいた一帯である。ちなみにこの画像とは逆の後ろの方に白髪神社がある。

麓馬場通りを直進するとやがて砂利道の山道に入り、そこからさらに奥に進むと小さな沢を渡って山の上に登り始め、そして登りきった場所に急に平場群が現れた。ここが上村城の中心部であり、「紅葉の隠れた名所」との噂通りの見事な燃える景色が広がっていた。

縄張りの事前情報を得ていなかったので想像になるが、画像はたぶん上村城の本丸と思われる場所。右に見えるのは城内で最も高かった場所で、土塁ではなくたぶん物見台ではないかと思う。

物見台と思われる箇所から南の城内を見ると城の中心を南北に土塁のようなものが伸びているのが判った。たぶん平場を造る際に尾根を削り残したもので、手前に切れ目が入っているのは東西の平場を繋ぐ通路のためだろう。

画像は前述の土塁の上から逆に物見台?方面を見た様子。土塁の両サイドに郭があり、大小の郭が雛壇状に展開している。

南側には大きな堀切が設けられており、背後の山地とはここで分断されている。一応、堀切の先にハイキングコースが続いており、ずっと進んでいけば永里城に行けるらしいが時間の都合で確認していない。

ちなみに堀切の手前は良く見ると登り土塁になっていた。
11月24日九州紅葉の旅・その5(宮崎県えびの市)【肥薩線】 ― 2014年12月05日 23時12分05秒
3日目は前日同様に京町温泉を出て吉松から肥薩線に乗り人吉へと移動した。今回は人吉目的ではなく熊本方面に出て北上するための移動である。

吉松から人吉までの間にはスイッチバックの駅が2箇所あり、画像はその一つの真幸駅で、ちょうど駅を出発してスイッチバックで上の線路に移動したところ。ここはホームに鐘があるのが印象的だった。

前日に撮る事が出来なかった日本三大車窓の一つを今回撮る事が出来たが、前日とは違って霧の海が下界に広がる様子は見れなかったため、やはり少々悔いが残った。それでも絶景なのは確かで、移動中のため短時間しか見られないのが惜しいくらいだった。