4月27日奥州桜と城址の旅第二陣・その2【寺池城】(宮城県登米市)2013年05月01日 22時24分29秒

佐沼城址の桜を見た後は、旧登米町へと移動してかつての葛西氏の居城、後に登米伊達氏の居城となった寺池城跡へと向かった。


寺池城址碑
寺池城は北上川右岸の丘陵にあった城で、城址碑は丘の南端部分にある。画像に見える石垣は遺構ではなく、法面保護用の近代の石積みである。


登米懐古館
丘陵南端の郭跡には懐古館という資料館があり、北に向かって階段状に郭跡が連なっている。しかし、他の郭跡には住宅地や裁判所があって散策できる箇所があまり無い。


寺池城主郭跡
丘の北側の最も高い場所が本丸跡とされる場所で、ここは畑と宅地になっていてやはり見所は無かった。


北上川堤防沿いの桜
城跡の丘の上からは北上川方面の街並みが良く見え、街の向こうには北上川と堤防沿いの桜並木も望むことが出来た。遠目でも木々は桜色に染まっていたので恐らくちょうど満開なのだろう。


寺池城址公園の桜
丘の南側の懐古館を含めた比較的低い場所一帯は三の丸跡で、西側一段低い場所は「寺池城址公園」となっている。ただ、城址公園と言う割には車だらけで、駐車場のようになっていた。それでも遺構として井戸跡が見られるので寺池城址の中では見所がある場所かもしれない。なお、ここの斜面に咲いている桜も満開で綺麗だった。


武家屋敷鈴木家(春蘭亭)
寺池の城下町には武家屋敷も残っており、鈴木邸(春蘭亭)は内部まで開放されていた。一応、武家屋敷一帯も桜の名所とパンフレットにあったが、しだれ桜などは散ったのかあまり花は見られなかった。


鈴木邸の庭の桜
それでも鈴木邸の庭には満開の見事な桜があって綺麗だった。画像の桜は白い枝垂桜で八重咲きの花と葉が一緒に出ているもので、個人的には初めて見た品種なので調べても名前がさっぱり判らなかった。

4月28日奥州桜と城址の旅第二陣・その3【柳之御所など】(岩手県平泉町)2013年05月02日 22時38分33秒

登米市の散策後、桜はちょうど平泉から一ノ関付近が満開と判ったため、連休2日目は平泉へと向かった。この日は天候は良かったものの、奥羽山脈から吹き降ろす冷たい強風が常時吹き荒れており、なかなか消耗が激しい大変な一日だった。


柳之御所の堀
平泉に着いてまず先に向かったのは柳之御所跡で、奥州藤原氏の居館があった場所である。前回来た時はまだ発掘と整備前の工事で全く立ち入りが出来なかったので、今回が初散策となる。画像は御所の周辺の堀の跡で、ここからは橋の遺構も見つかっており、さすがに橋までは復元されていなかったが、思っていたよりも城館らしい堀だった。テーマパークの「奥州藤原の郷」のイメージが先入観としてあったため、これはなかなか予想を裏切られた形だった。


柳之御所跡
建物の跡に関しては画像のように平面復元が行われていたが、「仮整備」となっている箇所が沢山あったため、まだこれで完成ではないらしい。一応、MAPがあって建物跡の配置が描かれていたが、これだけだとバラバラでイマイチどういう館だったのかイメージが掴みづらかった。


柳之御所の庭
御所跡で一番判り易かった遺構が画像の回遊式の池で、金鶏山を借景とした庭園を想像すると、けっこうそれっぽいイメージが浮かんできた。


観自在王院跡
柳之御所跡には桜は見られなかったので、町内を移動して観自在王院跡へ。ここも正面は桜は見られなかったが、池の周りに紅色の桜、背後には染井吉野っぽい満開の桜が見られた。


毛越寺
おとなりの毛越寺は平泉でも有数の桜の名所だが、以前立ち寄っているので今回は内部はパスして、入口前の枝垂桜だけ見て次へと移動した。


平泉の桜
町内の4号線の桜並木が満開でなかなか綺麗だったが、中尊寺付近の桜も満開で晴天に相まって綺麗だった。


中尊寺
中尊寺も前回訪れているので今回は登らずに麓の桜だけを見てまわった。さすがに観光地だけあってこの辺りでは観光客が多く、バスや自動車がひっきりなしに駐車場に入ったり出たりしていた。

4月28日奥州桜と城址の旅第二陣・その4【安倍館関係】(岩手県奥州市)2013年05月03日 20時12分00秒

中尊寺からさらに北上して川を渡ると、奥州市の衣川へと入る。ここは藤原氏が平泉に都を築くより昔に安倍氏の本拠地があった場所で、安倍氏に纏わる遺跡が密集している。

接待館跡(下から)
川に沿って上流に向かうと、川沿いに接待館跡が見えてくる。ここは安倍氏の館跡とされ、藤原氏の時代には基衡の妻の館となり、接待や儀式の場となったため、接待館と呼称されている。一説には源義経が暮らした藤原基成の衣川館はここだとも言われている。発掘では柳之御所に匹敵する遺構が現れたようだが、現状は埋め戻されているので、堀跡と民家の裏に残る土塁しか確認できない。


接待館跡(堤防上から)
堤防の上から接待館跡を見た様子。緑の草が生えている場所が館跡で、土色の低くなっている箇所が旧河川跡。恐らく長い年月で流路が変わり館跡も川で削られたのではないだろうか。ちなみに画面中央奥の木が生えている箇所に土塁が残っていた。


並木屋敷
接待館跡から西に行くと並木屋敷跡がある。当時は屋敷の回りに桜並木があったので並木屋敷の名の由来だという。ここは安倍頼時の時代の政庁跡とされ、安倍氏滅亡後は清原氏の館となり衣川柵と呼ばれたという。並木屋敷の名の由来を聞いて少し桜を期待していたが、画像の通り跡地は畑と民家があるだけで、特に見所になるようなものは見当たらなかった。


琵琶館跡
並木屋敷跡の西の段丘端に行くと琵琶館跡の標柱が立っていた。別名の成道館の名が示す通り、ここは安倍貞任の兄の成道の居館跡だという。ただ、実際の館跡はこの標柱の場所よりも南側にあり、地図で見ると川がちょうど蛇行して半島のようになっている。ただ、そこに行くには民家のある場所を抜ける必要があるようなので、そこまでは確認していない。


小松館
琵琶館跡標柱からさらに西に行って川を渡った先が小松館跡で、安倍貞任の叔父の良照の居館である。ここは川に挟まれた段丘の南端にあり、現在は畑となっている。


小松館堀跡
小松館跡西側は東北自動車道が通っており、その関係で西側の堀の役目を担っていた川は埋め立てられている。ただ、埋められたというよりは暗渠になっているのかもしれない。


衣川関
小松館跡から高速道路の下を抜けて西側に抜け、そこから高速道路と崖に挟まれた狭い道を南下すると衣川関跡に出る。確かに崖と川に挟まれた場所を街道が通っており、しかも手前にも川があって橋を渡る必要があるならここは関門としては最適に思える。


舘跡
衣川関跡から再び道を戻って北上すると左手に民家や畑のある段丘が見えてくるが、この丘の上に安倍館跡がある。しかし、説明板には単純に「舘跡」とだけしか名称は振られていない。ここは安倍頼時・貞任の私邸の跡だという。一応、説明板のある場所に土塁らしきものが見られるが、周囲は畑や民家で道路によって削られているようにも見えるので定かではない。


北館堀跡
安倍舘跡から再び高速道路に沿って北上し、途中で再び高速道路の下を抜けて東に向かうと、そこも安倍氏の館跡の一つである北舘の跡となる。画像の北舘桜の案内板がある場所は北舘の北端にあたり、道路の場所が堀跡でもある。


北館跡
館跡の中を高速道路が通っている上に東側には川が流れているため、この場所にまで来るのは意外と面倒くさい。北舘跡のど真ん中には今日一番見たかった「北舘の桜」が聳えており、周囲にはカメラマンも沢山訪れていた。


北舘の桜
桜は樹齢700年の巨木だが、花は小ぶりで品種はエドヒガンだという。安倍氏が植えたかと思いきや、旅の僧の南蘇坊が14世紀頃に植えたものらしい。正直咲具合が心配だったが、花はちょうど満開で綺麗なものだった。


泉ヶ城
今日は「北舘の桜」を見るのが目的だったので、一通りいろんな角度から桜を撮った後は平泉へと戻ることにしたが、帰りに1箇所拠り忘れていた場所があったので立ち寄った。目的地は琵琶舘から川を挟んで東隣にある泉ヶ城跡で、安倍宗任家臣の藤原業近の居城跡だったため、業近柵とも呼称される。ここは地図で見ると360度が川に囲まれて陸地から分断されており、明らかに人為的に作られた地形だと判る。実際にここに行くには画像手前の橋を渡るしか道が無い。道は砂利道で舗装されておらず、奥に民家が見えるためここは私道なのかもしれない。恐らく画像奥の高台が城の中枢だろうが、結局奥まで行かなかったため確認していない。

4月28日奥州桜と城址の旅第二陣・その5【陣ヶ丘と黒沢尻柵】(岩手県北上市)2013年05月04日 23時57分51秒

平泉に戻り少し遅い昼食をとった後は北上市まで北上し、東北三大桜の名所に数えられる北上川展勝地へと向かった。4月28日時点で平泉付近より北は桜の咲き具合がまだ期待できないのは判っていたが、桜まつりのポスターを見てふと無性に行きたくなったためである。


北上川展勝地
北上川展勝地は北上市の市街地から北上川を挟んで対岸にあり、堤防の上からは延々と続く桜並木を望むことが出来た。桜は遠景ではごらんの通りのまばらな状態で五分咲き程度に見えた。


北上川展勝地(近景)
しかし、近くまで行って見ると思いのほか咲いているように見えたし、木によっては満開に見えるものもあって綺麗だった。ちなみに川には渡し舟が出ているので、それに乗って対岸へと渡った。


陣ヶ丘(麓から)
桜並木を南に行くとレストパークがあり、そこには露店が沢山出ていて人ごみでごった返していた。このレストパークの山側に見える丘が「陣ヶ丘」と呼ばれる場所で、「前九年の役」で源頼義が黒沢尻柵を攻撃するために構えた本陣の跡だという。いわゆる付城とか陣城と呼ばれる臨時の城の類である。


陣ヶ丘頂上
露店でつきたての餅を食べたりしてすっかり時間を食ってしまったが、なんとか日が落ちる前に陣ヶ丘へと登った。丘の上は公園として整備されており、頂上には広い平場があった。ここには東屋があるが木々が邪魔で微妙に展望は悪い。


陣ヶ丘横堀
遺構としては平場の周囲の一段低い場所に横堀が巡らされており、平場と堀だけの単純な構造は確かに陣城らしいものだった。画像では帯郭のようにも見えるが、調査図には横堀の跡として描かれており、画像の奥あたりはハッキリと横堀と感じる窪みになっていた。


陣ヶ丘から見た北上川展勝地
頂上は眺めが悪かったが、場所によっては視界が開けており、そこからは北上川展勝地が一望できるためなかなかの絶景だった。画像は頂上より低い場所にある手摺が設けられてる場所、ここの他にも見張り台跡という突き出した岩の上も眺めが良かった。桜が満開になったらここからは見事な景色が撮れそうである。


みちのく民俗村
なお、陣ヶ丘の背後には「みちのく民俗村」という古い建物を移築したテーマパーク?のような場所があり、ここにも興味が惹かれたが残念ながら営業時間終了5分前だったため諦めることになった。


暮れ時の北上川展勝地
渡し舟も既に営業終了だったため、今にも沈みそうな太陽を脇目に桜並木を北上し、遠回りだが北にある橋を渡って市街地へと戻った。ちなみに橋の手前には川を横断して沢山の鯉幟がつるされており、この日は風が強かったため音を立て激しく川の上を泳いでいた。


黒沢尻柵
せっかく陣ヶ丘を見たのだから、陣城が相対した対象である黒沢尻柵跡にも立ち寄った。黒沢尻柵は「前九年の役」で安倍正任が立て篭もった城柵で、現在は北上市の市街地の中にある。市街地の中心に近いにも関わらず遺構は画像のように堀の一部が残っており、現在はこの堀の周囲が公園となっている。画像左の高くなっている方が北上川方面で、右の低い方が内陸側のため、構造としては厨川柵(安倍舘)に近いものと思われる。


黒沢尻の桜
ちなみにこの黒沢尻柵跡がある公園もまた桜が数本植えられており、こちらは全て満開で綺麗に咲き誇っていた。日が落ちる寸前のためあまり良い画が撮れなかったのが残念だったが、それでも十分花見にはなったので良い収穫だった。

4月29日奥州桜と城址の旅第二陣・その6【大槌城】(岩手県大槌町)2013年05月05日 17時02分15秒

4月27日と28日は奥羽山脈から吹き降ろす冷たい強風に悩まされ続けたため、連休最終日の29日は沿岸部を目指して移動した。途中で遠野を通過したが、遠野の桜はまだ蕾が多かった。ただ、遠野から釜石に抜けると標高が一気に下がるためか山側は桜がまだ咲いている所もあったが、沿岸部は既に桜が散っている状態だった。


大槌城と代官所の碑がある場所
ちょっと予想以上に散っている桜が多かったため、北上して大槌町へと入った。この辺りは震災の爪跡が今もハッキリ残っており、移動中に通過した場所にはショッキングな光景が続いていた。画像は大槌町の仮の役場や消防署の前にある小さな岩で、この上に大槌城の城址碑がある。なお、岩の右側の足元には大槌代官所の碑もあった。


大槌代官所跡
大槌代官所跡は仮の役場や消防署、警察署などが置かれた行政の中心となっているが、少し前までは大槌小学校がここにあった。現代の代官所とも言える施設がここにあることは、どこか歴史の因縁を感じざる得ない。


麓から見た大槌城
大槌代官所跡付近から大槌城を見上げると、結構迫力がある。あそこまで登ることを考えると、当時の大槌城が難攻不落だったことも判る気がする。


大槌城高舘
城跡自体には車道も1本通っているので、車で登る分にはそんなに苦労しないかもしれない。ただ、城の隅々まで見るとなると山道を通る必要があるので、結構歩くことになる。とりあえず、代官所跡から車道を通り、公民館を抜けた先で、山道に入って城の東端部の高舘へと登った。


大槌町中心部跡
高舘は今は東屋があるが、地形は狭く特に加工もされていないようなので、見張り台程度だったように思える。ここからは大槌の沿岸部が一望できるが、眼下には壊滅した街の跡が広がっているため、なんとも言いがたい絶句する景色である。


大槌城四の丸から見た高舘
高舘から稜線に沿って登って行くと四の丸に辿り着くが、ここからがやっと城の中枢といった感じである。画像は四の丸から高舘方面を見た景色。画面中央奥の突端にかすかに高舘の東屋が見える。なお、道中には堀切らしき箇所が確認できた。


大槌城三の丸跡
四の丸から本丸までは階段状に削平地が連なっており、三の丸と二の丸は比較的広いが、四の丸と本丸は狭い。三の丸からは柵列の跡や建物の跡などが発掘されており、重要な施設はここにあったように思われる。


山桜?
なお、城山には至る所に桜が植えられており、染井吉野は散っているようだったが、他にも様々な種類の桜があって満開に近い状態のものも多かった。画像は三の丸跡のたぶんヤマザクラかカスミザクラと思われる桜。城跡には他にもヤエザクラやエドヒガンかなと思われるものもあった。


天狗巣病
ただ、一方では天狗巣病と思われる桜も多く、病気に弱いソメイヨシノなどには過酷な環境に見える。


本丸斜面の水仙
桜以外では本丸の斜面で水仙の花が咲いているのが見られた。最高所の本丸は郭は狭いが、ここからは360度の景色が見えるのでなかなか素晴らしい。


西砦と本丸の間
画像は西砦から見た本丸との間の堀切跡。堀切跡は埋められて城の説明板やベンチが設置された空間となっている。車で来た場合はここが本丸に最も近い場所となるが、駐車場はここから少し離れた場所にある。


西砦から南砦を見る
画像は西砦から南砦方面を見た景色。城跡は高舘から四の丸、三の丸、二の丸、本丸、西砦、南砦とUの字を描く縄張りになっており、馬蹄型城郭の一種とも言える。


焼いた跡?
城山を歩いている最中にずっと気になっていたが、至る所に山火事のように焼け焦げた木々があった。南砦から降った箇所の松林では松の根元だけが焦げており、どうも人為的に焼いているようだった。何か松食い虫などの退治でも行われていたのだろうか?