10月13日三連休道南函館江差の旅・その3【開陽丸】(北海道江差町)2013年10月20日 21時46分00秒

連休2日目は函館からJR江差線に乗って江差へと向かった。JR江差線は来年の5月の廃線が決まっており、その影響なのか観光客やカメラマンで車内は終始一杯になっていた。


江差駅
画像は終点の江差駅の様子で、ホームは乗車待ちの行列や記念撮影の観光客で賑わっていた。ちなみに天候は曇り空で日本海側から強風が吹きつける上にたまに雨が降る有様で、前日の函館よりもさらに寒い状態だった。


復元された開陽丸
江差について真っ先に向かったのが開陽丸で、戊辰戦争で旧幕府軍の軍艦として戦った船を外観復元?したものである。開陽丸は江差での新政府軍(松前藩兵)と旧幕府軍との戦いを援護するために榎本の命で投入されたが、江差沖で座礁沈没してしまったという。


海側から見た開陽丸
外観復元された開陽丸は港にあるのだが、船として浮かんでいるのではなく、むしろ建造物のように港の中に『建っている』という感じであった。海側から見ると砂浜に乗り上げて座礁しているようにも見えるのが、なんとも言えない光景である。


開陽丸の甲板
内部は撮影禁止なので画像は無いが、幕末の造船関連や戊辰戦争についてのパネル展示、それと海中から引き揚げた弾丸などの遺物が展示されていた。甲板の上にも登ることができ、ここから見る港や江差の街の景色もなかなか良かった。これで天候が良くて風が弱ければ申し分無いのだが、さすがに季節柄しょうがないのだろう。


開陽丸の遺品(シャフト)
なお、開陽丸の遺品はセンターの庭にもあり、エンジンのシャフト部分や船体の一部、それと大砲と碇などがある。

貞観地震と大津波について2011年03月14日 10時30分22秒

どうも報道などでは「1000年に一度の地震」という言葉が独り歩きしているようなので、ちょっと歴史の観点から記述しておきたいと思う。

これは1000年前に同じ場所(宮城県沖)で同種(プレート連動型)の地震があったことを指して「1000年に一度の地震」と言っているのであり、1000年に一度の確率の大災害というわけではない。同じ規模の災害は歴史上、違う場所で何度か起こっているのである。

では、1000年前に同じ場所で起こった地震は何かというと、平安時代の869年の貞観地震と考えられており、古文書の「三代実録」にはその時の被災状況が記録されている。それによれば、強い地震の後に多賀城の城下町が津波に飲まれて多数の人々が亡くなったと記録されている。

これは地質考古学の調査からも確認されており、仙台平野の海から3kmの位置まで津波が来ていた痕跡が発見されている。現在の多賀城跡は海から4kmほどの位置にあるが、当時の海岸はもっと内陸にあり、実質は1.5~2kmほどである。

貞観の大津波については確か現地の多賀城址(東北博物館の展示だったかも)の説明にも書かれており、多賀城を散策した時はこの辺り一帯が津波に飲まれたということがあまり信じられなかったが、今回の地震の津波の映像を見てやっと貞観の大津波の記録を信じることが出来た。今回の津波は実に仙台平野の海岸から6kmの場所まで飲み込んでおり、今回の津波がいかに恐ろしいものだったか確認できる。

なにはともあれ、今回の地震は貞観地震よりもさらに規模の大きな地震であり、歴史上でも最悪の地震である。今も被災地は大変なことになっているが、自分にできることがあまり無いのがなんとも歯がゆくて悔しい。