9月7日山形旅行・その1【小松城】(山形県川西町)2014年09月10日 03時11分04秒

週末に山形方面へと出かけて来た。本当は6日の昼には山形県に入っている予定だったが、出発が遅れたことと、途中の宇都宮と福島に寄道したことで、結局米沢に着いたのは夜になってしまった。

翌日は朝から川西町へと出かけた。目的は実は「川西ダリヤ園」なのだが、開園の9時まではまだ時間があるため、川西町にある小松城跡へと立ち寄った。小松城は鎌倉時代からの古い館城だが、長井氏が置賜領主の時代の城主は不明で、伊達氏が置賜領主の時代に家臣の大町氏、桑折氏、牧野氏が居城としていた。


小松城の土塁
街の平野部にある城跡なのであまり期待していなかったが、訪れてさっそく立派な土塁を見ることが出来たのには驚かされた。


小松城跡城内
土塁に囲まれた内部が主郭跡で、今は新山公園(大半がゲートボールコート)となっている。公園が出来る前は学校があったそうで、校門跡が今も残っていた。


堀跡?
公園から西に向かって新山神社の参道があり、鳥居を越えた先には堀跡と思われる遺構があった。ちょうど参道は土橋のようなので、新山神社側は副郭(西出丸?)だったと思われる。


新山神社
新山神社は特に由緒書き等は無かったので歴史のほどは不明。神社の境内と郭跡が合っておらず北半分にデットスペースが出来ているので、廃城後に勧請されたものだろうか。

9月7日山形旅行・その2【原田城】(山形県川西町)2014年09月14日 01時12分05秒

小松城跡を散策した後は、そこから南西に向かった場所にある置賜公園へと向かった。公園は街に隣接する丘陵の上にあり、元は伊達家臣の原田氏が居城としていた原田城があった場所である。


置賜公園東口
置賜公園のある丘陵へは東口から登ったが、公園の案内は見当たらなかったため、初めは本当にここから入っていいのか戸惑った。


原田城本丸
丘陵の東端部はそこそこ広く、真斉の遺跡らしい五輪の塔があるのが印象的だった。後から調べたところ、真斉は空海の十弟子の一人で、町内にある大光院を開いた僧らしい。画像はその東端部の内部の風景で、当初はここが本丸かと思っていたが、どうやら二の丸らしい。


本丸と二の丸の間の堀切
東端部から西に行くと城跡の遺構とハッキリ判る堀切が残っており、そこに橋が架けられていた。草で判りづらいが、これでも深さは6mほどあるという。


原田城二の丸
堀切を渡った先の広い郭が本丸跡らしく、今は芝生が広がりステージのようなものが設置されていた。たぶんイベントなどで使用しているのだろう。


稲荷神社?
本丸の北側には恐らく稲荷神社と思われる社があり、参道は北麓に向かって延びていた。参道は草が茫々だったため、どうやら滅多に人は訪れない場所のようだった。ちなみに原田城址碑はこの鳥居の参道の近くにあった。


堀切
本丸と西側の丘との間にも堀切があり、草が邪魔で深さはさっぱり判らなかったが、原田城が典型的な連郭式の縄張りの城だというのがよく判った。なお、写真の逆側の堀切跡は公園の駐車場となって埋め立てられていた。

9月7日山形旅行・その3【川西ダリヤ園】(山形県川西町)2014年09月15日 23時34分14秒

原田城跡を散策した後は、そのまま川西ダリヤ園へと向かった。原田城址こと置賜公園とダリヤ園は道一本を挟んで隣接しており、公園の西口から出るとそのままダリヤ園の駐車場を通ってダリヤ園の入口へと行くことが出来る。


ダリヤ園1
城址を巡っているうちにとっくに開園時間は過ぎており、午前中にも関わらずダリヤ園には観光客や地元の方が予想以上に訪れていた。空も太陽が昇るにつれて青空となり、まさに絶好の花見日和となった。


ダリヤ園3
それにしてもダリヤの品種は覚えきれないほど沢山あり、大半は花を咲かせていたものの、既に散ったものや、まだ蕾のものなど花の色同様に皆様々で興味深いものだった。あと、品種に付けられた名前も多彩で、名前のプレートを見てまわるのも面白かった。(「武将」なんて名前のダリヤもありました)


ダリヤ園2
ダリヤ園の奥まで行ってみると画像のようなちょっと洒落た場所もあった。ちなみに撮影している場所はアースフィルダムで、背後には溜池がある。要するにダリヤ園は沢のような地形の場所に立地している。

一通り散策した後は売店でダリヤソフトクリームを買って食べたが、美味しいものの香り?のせいかちょっと人を選びそうな感じの味だった。

9月7日山形旅行・その4【山形城】(山形県山形市)2014年09月18日 00時17分59秒

川西ダリヤ園を散策した後は置賜を抜け出して山形市へと向かった。目的地は山形城であるが、栄屋本店の冷やしラーメンが食べたくなって七日町まで移動して行列に並んだため、2時間ほど時間を浪費してしまった。山形城跡に着いたのはやや日が傾きかけた頃で、さっそく最近完成した一文字門目指して移動した。


山形城一文字門
本丸発掘後、一文字門は度々復元が行われていたが、最近土塀が出来て一応完成となった。厳密には櫓門(一文字門一の門)が復元されていないので完全な復元では無いが、櫓門は文献等の歴史資料が足りないため復元出来ないのだという。山形城は二の丸東大手門が復元されているが、あちらが内枡形なのに対してこちらは外枡形であり、対比してみると面白い。


山形城本丸井戸
昔は一文字門に入れてもその先の本丸には説明会の時しか入れなかったが、今は遊歩道が解禁されており、未だ発掘途中の本丸の様子も確認することが出来た。画像は本丸で発掘された井戸の跡。


山形城本丸西内堀
本丸跡内部を散策後、内掘跡の西側へと移動したが、以前発掘調査が行われていた堀の内部は草が覆い茂る窪地と化し、堀の外が新たに公園らしく整備されていた。そして堀の奥は新たに発掘が行われており、そこだけは土色の窪地となっていてなかなか面白い光景だった。