3月22日御伊勢参りの道中で名古屋城へ寄道(愛知県名古屋市)2014年04月05日 22時30分06秒

先月の3連休・・・と言っても、後半2日しか休んでいないのだが、その2日を使って御伊勢参りに行き、その途中で名古屋に立ち寄り名古屋城を散策してきた。結局、帰ってきた次の日からの過労で記録に残す機会を失っていたため、今頃になっての記録である。


梅の花
3月22日の名古屋は晴天で、名古屋城も大勢の人々で賑わっていた。今の時期は桜が主役だろうが、訪れた時はまだ桜は咲いておらず、画像の梅の華が城内の一画を彩っていた。


工事中の櫓
名古屋城では本丸御殿が復元工事中なのは聞いていたが、事前に調べていなかったため、隅櫓が修理中なのを現地で始めて知ることになった。「名古屋城」の公式サイトにはちゃんと工事情報が載っているので、観光で行く人は事前に見ておいたほうが良いと思う。


復元中の本丸御殿
本丸御殿全体はまだ完成していないが、一部の完成区画が公開されており、中に入ることが出来る。画像がその本丸御殿の玄関部分だが、一般客が内部見学できる入口はここではなく、画像右側に回りこんだ先にある。


御殿の内部
御殿内部は広い廊下と金箔が眩しい部屋の内部が印象的で、予想していたよりも豪華だったのには驚かされた。ちなみにフラッシュ禁止であるが写真撮影は許可されている。


本丸堀の鹿
以前に城内を散策した時は気付かなかったが、堀で鹿が飼われていることを後で聞いたのを思い出したので、本丸西側の堀を覗いてみたら鹿が2匹居るのが確認できた。

3月23日御伊勢参りの道中で亀山城へ寄道(三重県亀山市)2014年04月06日 20時59分52秒

3月22日は名古屋でほとんど時間を取ってしまったが、23日も伊勢神宮に向かう前に是非とも寄りたかった場所があったので寄道をした。それは亀山城跡で、昨年に多聞櫓を以前の状態に修復する作業が終わったのを知っていたため、是非とも見ておきたかったからである。


外掘り越しに見た多聞櫓
亀山城といえば板張りの多聞櫓が出てくるが、それは廃城後の櫓再利用でそうなったらしく、幕末までは白漆喰の壁だったという。昨年の櫓の修復時にせっかくだからと当時の姿に戻したのが現在の姿で、画像は外掘り越しに現在の多聞櫓を見た様子。


多聞櫓からの景色
多聞櫓内部は今回始めて入ったが、ちょっとした資料の展示が行われており、先年に放火された時の焼け焦げた柱も展示されていた。画像は多聞櫓から見た景色。左奥に見えるのが1個目の写真にもある外掘で、角度はずれているが先の写真とは対の向きとなっている。


多聞櫓付近の石垣
そういえば数年前の地震で多聞櫓に近い場所の石垣が崩れたとあったが、その場所は画像奥のように土塁に変わっていた。どうも石垣が崩れた場所は近代に入ってからの改造で積まれたものと判り、そのため改造された箇所を元に戻して塁壁の延長にしたようである。それにしても、当時の石垣が無事で、近代の石垣が脆いとは皮肉なものである。


亀山城三の丸跡の石垣と標柱
多聞櫓周辺以外にも変わった場所が無いか散策してみたところ、三の丸大手門跡に近い場所に、以前通った時は無かったような見覚えの無い標柱を見つけた。説明文によると、どうやら足元にある石は大手門に使用されたと思われる石垣で、この周辺での工事で見つかったものだという。


加藤家長屋門
まだ見ていなかった場所に武家屋敷の加藤家があったのでそこにも行って見たが、生憎なことに内部は修復工事中だった。画像は外から見た加藤家長屋門で、予想していた武家屋敷よりも立派な門だった。


西ノ丸外掘
前回訪れた時も見た西ノ丸の外掘り跡だが、前回よりも周辺が整備されて看板も設置されていた。今更ながら周囲を見てみると、民家と民家の間にも外掘の跡が残っており、思いのほか遺構があることがよく判った。画像は整備された外掘跡で、画像とは真逆の方向にも堀跡(こっちは未整備)が見える。

3月23日御伊勢参り・外宮編(三重県伊勢市)2014年04月09日 01時24分38秒

道中寄道しながら今回の旅の目的地の伊勢へと辿り着いたが、20年に一度の式年遷宮が行われた影響なのか、駅から外宮までの参道も昔来た時より新しくなっており、まるで初めて訪れたような不思議な気分だった。昼食がまだだったため、参道で見かけた「巾着伊勢うどん」と「ぱんじゅう」を食べてから外宮へと向かったが、前者は見た目が面白く、後者はクリーム味が美味だったのでなかなか良かった。


旧御正殿
外宮の御正殿は大鳥居を潜って参道を道なりに進んで行くと右手に見えてくるが、まず目にするのが古い方の御正殿で、昔訪れた時は自分こちらに参拝したはずである。古いと言っても威厳のある佇まいをしており、いずれこの場所が空白地になるのが信じられないほどである。


新御正殿
そして隣にあるのが新しい御正殿で、まさに新築の木材が眩しい社がそこにあった。一般人は鳥居を潜ったすぐ先の拝殿前までしか入れないが、奥の方では何やら儀式?のようなものをやっているようだった。


亀石
御正殿から別宮の方に行く途中の小川に架かっている石橋は亀石と呼ばれており、画像でも判るとおり確かに亀のように見えるのがなんとも面白い。


多賀宮
川の先には風宮、土宮があり、そこから丘の上に登ると多賀宮がある。こちらも式年遷宮が行われたようで、社は新しくなっており、隣が空き地になっていた。昔、参拝した時はこの空き地の方にあった社に参拝したはずだが、記憶が曖昧で思い出せない。ちなみに同じ文字だが多賀神社とは関係無く、元々は高い場所にあるから「高宮」と呼ばれ、それが多賀宮に変化したのだという。

3月22日御伊勢参り・内宮編(三重県伊勢市)2014年04月11日 02時43分33秒

外宮の参拝を終えた後は、外宮前からバスに乗り、4kmほど離れた場所にある内宮の参拝に向かった。内宮は宇治橋の前まで門前町が参道沿いに伸びているが、こちらは外宮の門前と違って移動に支障をきたすほど大勢の人でごった返していた。

伊勢神宮内宮御正殿
五十鈴川を渡り、参道に沿ってひたすら杜の中を進むと、やがて左手の丘の上に内宮の御正殿が見えてきた。こちらも新しい社が立派で良かったが、撮影は石段のあたりまでしか許可されていないので注意が必要である。


伊勢神宮の石垣
御正殿の丘をよく見るとかなり大きな巨岩で石垣が組まれていた。式年遷宮は7世紀から行われていたと聞くが、もしその頃と場所が変わっていないのであれば、大昔の人がこの巨岩の石垣を組んだということになるため、なかなか興味深いものがある。


荒祭宮
なんだかデジャヴを感じる画像だが、決して使いまわしではない。こちらは内宮の境内にある別宮の一つで、荒魂を祭る荒祭宮である。こちらも遷宮しており、元の社殿のあった場所は空き地になり、その隣に新しい社が出来ていた。

最終日は時間があれば色々行きたかったが、結局神宮の参拝に半日費やし、そのまま関東への帰途につくことになった。