11月23日九州紅葉の旅・その2(熊本県人吉市)【人吉城下町】2014年12月01日 23時31分19秒

初日は綾町と宮崎市内を散策し、夕方に加久藤盆地に移動して京町温泉に泊まった。そして2日目は日本三大車窓の肥薩線矢岳越えを通り、人吉盆地へと移動した。実は途中の車窓から霧の海に沈む加久藤盆地と遠くに聳える霧島連峰というなかなか幻想的な風景を見ることができたのだが、初めてで事前知識が無く、かつ移動中の車内だったため上手く写真に残すことが出来なかった。


人吉駅前
人吉駅に到着して駅を出ると、駅前には城下町らしい洒落た時計台があった。地味に人吉城のはねだし石垣をリスペクトしてるのが面白い。


中川原公園
城下町から球磨川を渡って南岸の武家屋敷のある方面を目指したが、橋を渡る途中で球磨川に大きな中州があるのが見えた。後で資料館に寄った時に判ったことだが、この中州は江戸時代の絵図にも見えており、当時の城下町と城を繋ぐ橋が架けられていた。なお、その橋は西南戦争で焼失している。


永国寺
球磨川南岸に渡りまず向かったのが永国寺で、西南戦争では西郷隆盛の本陣がここに置かれていたという。寺は観光客にも開放されており、奥の庭園が見える部屋まで中に入れるとの誘導もあったので、せっかくなのでお邪魔することにした。


永国寺の庭園
正直なところ予定には無かった寄道だったが、寺の裏にある庭園の池の周りの木々はちょうど紅葉しており、なかなか見事な景色を見ることができたのは良い収穫だった。


永国寺山門から人吉城を望む
寺の山門からまっすぐ伸びる道の先にある山が人吉城で、その手前に広がるのがかつて武家屋敷が立ち並んでいた一帯である。


堀合門
その道の中間あたりにあるのが現在唯一残る武家屋敷で、その屋敷の門は人吉城の堀合門を移築したものだという。つまり、この門が人吉城の唯一の現存建造物ということにもなる。余談になるが、この屋敷の前にはデカイ総合病院があり、景観的に両者は真逆で合わないため、これは地味に衝撃的な光景であった。


胸川と大手橋
武家屋敷からさらに東へ移動すると胸川に辿り着くが、ここより先が人吉城跡の縄張りであり、画像の対岸に見える石垣が大手口の跡である。

8月4日福島日帰り城廻・その2【関川館】(福島県白河市)2013年08月06日 23時24分29秒

白河城を散策した後は、白河城下絵図にも載っている関川館跡にも久しぶりに立ち寄った。

関川寺
関川館跡は現在は関川寺の境内になっており、館跡西側の遺構がよく残されている。だが、東側は住宅地や役所の敷地となって遺構がほとんど確認できない。


関川館の土塁と堀
以前来た時は気付かなかったが、西側の堀の外側には関川館の説明板が設置されていた。説明板では「関川寺館跡」らしいが、遺跡データベースや城郭体系などでは「関川館跡」なので、当サイトは後者の呼び名のまま継続することにする。


関川館の出構?
白河城下絵図を良く見ると関川館跡の西側の土塁の真ん中付近に出構えのように突き出た部分がある。外から見ると草木が邪魔で気付かなかったが、墓所に入る道から見ると確かに突き出ている。土塁は改めて見るとけっこう高いので、この辺りは結城宗広の時代よりもずっと後に改築されたのかもしれない。

7月15日三連休三陸遠征・その6【中館跡】(岩手県花巻市)2013年07月21日 20時43分48秒

三連休の最終日は初日同様に天候が優れなかったため、予定では陸前高田方面に行きたかったが、諦めて釜石線で花巻方面へと移動した。途中、遠野では大雨にぶち当たったが、花巻に着くころにはなぜか青空が見え、どうやら雨は奥羽山脈と北上山地の山間部を中心に降っているようだった。というわけで、このまま帰るのも癪なので駅から比較的近い場所にある未訪城の中館跡を散策することにした。


常楽寺
中館跡は地名に「古舘」として残っており、常楽寺付近ということで道に迷うことは無かったが、肝心の館跡の遺構はほとんど確認できなかった。突発的な訪問のため、下調べをしていなかったの城跡というのも災いしたが、常楽寺の由緒などの説明板も無かったので歴史関連がさっぱり判らなかったのも痛手だった。後から調べた感じでは時宗の他阿真教上人によって開山された寺のようだが、詳しいことはよく判らない。


熊出没注意
余談になるが、周囲で遺構探索中に熊出没注意の看板を見つけた。位置的に山からは離れており、周囲は宅地だらけで雑木林も川沿いと一部に点在するだけのため、とても熊は出るような雰囲気では無かったが、過去にここに出没したことがあったのだろうか?

4月28日奥州桜と城址の旅第二陣・その3【柳之御所など】(岩手県平泉町)2013年05月02日 22時38分33秒

登米市の散策後、桜はちょうど平泉から一ノ関付近が満開と判ったため、連休2日目は平泉へと向かった。この日は天候は良かったものの、奥羽山脈から吹き降ろす冷たい強風が常時吹き荒れており、なかなか消耗が激しい大変な一日だった。


柳之御所の堀
平泉に着いてまず先に向かったのは柳之御所跡で、奥州藤原氏の居館があった場所である。前回来た時はまだ発掘と整備前の工事で全く立ち入りが出来なかったので、今回が初散策となる。画像は御所の周辺の堀の跡で、ここからは橋の遺構も見つかっており、さすがに橋までは復元されていなかったが、思っていたよりも城館らしい堀だった。テーマパークの「奥州藤原の郷」のイメージが先入観としてあったため、これはなかなか予想を裏切られた形だった。


柳之御所跡
建物の跡に関しては画像のように平面復元が行われていたが、「仮整備」となっている箇所が沢山あったため、まだこれで完成ではないらしい。一応、MAPがあって建物跡の配置が描かれていたが、これだけだとバラバラでイマイチどういう館だったのかイメージが掴みづらかった。


柳之御所の庭
御所跡で一番判り易かった遺構が画像の回遊式の池で、金鶏山を借景とした庭園を想像すると、けっこうそれっぽいイメージが浮かんできた。


観自在王院跡
柳之御所跡には桜は見られなかったので、町内を移動して観自在王院跡へ。ここも正面は桜は見られなかったが、池の周りに紅色の桜、背後には染井吉野っぽい満開の桜が見られた。


毛越寺
おとなりの毛越寺は平泉でも有数の桜の名所だが、以前立ち寄っているので今回は内部はパスして、入口前の枝垂桜だけ見て次へと移動した。


平泉の桜
町内の4号線の桜並木が満開でなかなか綺麗だったが、中尊寺付近の桜も満開で晴天に相まって綺麗だった。


中尊寺
中尊寺も前回訪れているので今回は登らずに麓の桜だけを見てまわった。さすがに観光地だけあってこの辺りでは観光客が多く、バスや自動車がひっきりなしに駐車場に入ったり出たりしていた。

1月5日初詣2013年01月08日 00時21分26秒

2013年となり帰省先から戻って来たので、さっそく今年最初のお参りに出かけることにした。例年だと神社に行くことが多いが、今回はお不動さんで有名な成田山新勝寺へと出かけることにした。


成田山
横浜方面からだと距離があるが、成田空港行きの直通列車で来れるため交通の便は悪くない。成田には初めてやってきたが門前町が思いのほか味があり、特に鰻屋が軒を連ねているあたりの坂からの景色は印象的だった。あと、さすがに有名所だけあって人の数が凄かった。


新勝寺
それでも仁王門を抜けた先は広々としており、人が居る割にはあまり混雑を感じなかった。おかげですんなりと参拝を済ませることができたが、おみくじには結構な列が出来ていた。列で言うなら境内にある出世稲荷神社の前の列が凄かったので、さすがにこちらには並ばなかった。本堂の参拝後は釈迦堂を参拝したり、平和大塔を遠くから眺めたりして淡々と散策し、最後に門前町で鰻を食べて帰途に着いた。