9月25日慶長出羽合戦遠征・その14(山形県山辺町)2009年10月10日 01時43分16秒

畑谷城西部三重堀
【畑谷城】(後編)

畑谷城の大手郭から主郭へと登る道があるようだが、現在は獣道状態だったため、中腹の竪堀の終端まで登った所で諦めて麓に戻った。なお、スズメ蜂と思われる蜂が飛んでいたため巣が近くにあるものと思われる。

改めて大手郭と休憩所の中間にある現在の登山路から登城を開始したがこちら側では特に山の中腹に郭跡などの遺構は見られなかった。だが、山頂が近づくと急に横掘や虎口跡が現れ、ここより山頂の主郭までは帯郭が三段階に渡って造られていた。

山頂の主郭は広い郭になっており、城址碑と江口五兵衛の碑が建てられていたが、周囲は木々で遮られているため城下などを見渡すことは出来なかった。唯一北東部の搦手口跡付近の木々の合間からは遠くを見ることが出来るそうで、ボランティアの方の話だとここから山形市街を望むことが出来るそうだが、この日は霞がかかっていて何も見えなかったのが残念だった。

主郭周囲を散策した後は帯郭の切岸を降りて山頂周辺を取り巻く横堀へと降りたが、この横堀はよく見ると堀の真ん中に小さい土塁のようなものが出来ており、見ようによっては二重堀のようでもあった。

この二重堀からさらに切岸を西側に降りると、平地ではない自然地形が西へと続いており、縄張り図上ではこの先に三重堀があることになっている。ひたすら自然地形を進んでいると本当に堀があるのかと疑わしくなってくるが、体感で100mほど進んだ所で急に三重の堀が現れ、これには正直な所驚かされた。三重堀は館山側の1本が浅くなってしまっているが、外側の2本はいまでも十分深く、堀切から畑谷の集落へと落ちていく三本の竪堀はなかなか圧巻だった。

三重堀を見た後は再び山頂へと戻ったが、二重堀の切岸は木枝で造った臨時の階段とロープがあるから登れるようなもので、やはり登ってみるとその防御性が良く判って面白かった。二重堀まで戻った後は登山路沿いに下山し、今度は麓の内城(居館跡・根小屋)を見に行ったが、ここは現在民家となっており、民家の道路沿いの小屋に「内城」と書かれているくらいしか確認できなかった。