9月26日慶長出羽合戦遠征・その18(山形県山形市)2009年10月16日 22時23分38秒

左が長谷堂城外掘、右の小さい丘は長谷堂城を模っている
【長谷堂城】

山形市内でもう1泊した次の日は朝からさっそく長谷堂城へと向った。長谷堂城は去年も一度訪れているが、どうやらあれから整備されたらしいので、今回はそれの確認も含めての訪問である。

長谷堂城は最上氏家臣の志村光安が守っていた平山城で、慶長出羽合戦では2万の上杉軍に包囲されながらも守り抜き、最上氏の命運を繋いだ城である。

前回は住宅地になった外構えを散策してから内町口から登ったが、今回は八幡口から登ろうと思い、長谷堂についてから即直行したが、さっそくこの八幡口付近が綺麗に整備されていて驚かされた。記憶が確かならば、去年は確か砂利の空き地と畑があった場所に新たに広場とトイレが作られており、さらに外掘の一部が復元されていたから驚きである。しかも、広場の中の小さな丘も良く見てみると長谷堂の城山を模した形になっており、なんとも洒落たものである。

石亀の頭とも称される八幡口から城山に登ると、さっそく亀の首の部分に去年は無かった説明板を見つけた。どうやらこの部分は帯郭が数段に渡って造られているそうで、確かにこれは去年は気付かなかった部分だった。さらに進むと首の付け根の部分に土塁跡の説明板があり、これも良く見るとちゃんと土塁の跡が確認できた。また、この部分は前回は見られなかった脇道が整備されており、山の西斜面へと抜けれるルートが出来ていた。

とりあえず山の東斜面から登るルートを進むと、以前は藪だった帯郭へと登る道が新たに整備されていたのでさっそく登ってみたが、綺麗に藪が取り払われた郭は思いのほか広く、まさかこんな広い帯郭だったとは思わなかったので、見事に驚かされた。

帯郭からは山の西側沿いに登ったが、ここも城内最大の落差10mの切岸の部分に新たに説明板が設置されており、しかも以前は藪だらけだった西側の郭も綺麗に藪が刈られており、以前とは見違えるような風景になっていた。

西の帯郭から主郭へと登ると、ここは以前とはあまり変わっていなかったが、大河ドラマ効果なのか家族連れや観光客が既に何人か居り、去年の閑散としたイメージからは想像できないような光景だった。主郭からは長谷堂観音の方へと降ったが、地味にこの部分は階段からコンクリートの坂道に変更されていた。もしかするとバリアフリー対策とかいう奴なのだろうか・・・。

観音堂の郭まで降りた後は観音堂の西側の斜面下にある堀を見に向ったが、ここは以前は気付かなかったが、堀の外側のさらに下にも堀があり、段違い二重堀?になっているのが今回初めて確認できた。堀を見た後は山の西斜面から西向地区に降りたが、ここを見ると城山は中腹より下は自然地形で郭は山の上に集中しているのが判り面白い。なお、西斜面は彼岸花が咲いており、なかなか綺麗な光景だった。

麓に降りた後は、前回は時間の都合で周れなかった上杉軍の陣地へと移動することにした。