10月12日北陸遠征・その3(富山県高岡市)2009年10月21日 23時21分28秒

高岡城本丸と御竹藪の間の水堀
【高岡城】

親不知を越えて富山県に入った後は、富山県に来たら是非訪れたかった高岡城がある高岡の地へと直行した。

高岡城は1609年に富山城を焼失した前田利長の隠居所として新たに築かれた城で、高山右近によって設計構築されたという。しかし、利長が1614年に亡くなると城は廃城となったという。

市内を移動してさっそく大手口跡から鍛冶丸へと入るが、現在の鍛冶丸跡には博物館が建っており、しかも珍しいことにここは入場無料だという。中の展示は今時風に見やすい大きなパネル等で展示されており、親子連れなどで賑わっていたのがなんとも意外だった。

博物館を見た後は市民会館のある二の丸跡を通って本丸跡へと向ったが、ここの二の丸と本丸の間の土橋は横から見ると石垣になっており、全体的に土の城だが大手はちゃんと石垣で固めて有るのがなんとも近世の城らしくて良かった。

本丸跡は現在は南側が射水神社の境内となっており、立地が良いせいか参拝客がひっきりなしに訪れていた。北側は広場となっており、運動場並の広さがあるため、大勢の家族連れ等でかなり賑わっていた。本丸跡は建物こそは残っていないが、他の郭に比べて周囲の土塁が良く残っており、本丸北西部の土塁から外はかなりの落差があってなんとも素晴らしかった。なお、北側の隅の土塁の上には前田利長公の銅像が建っている。

本丸を抜けて堀を渡り御竹藪跡へと出るが、ここも本丸同様に広場があり、大勢の人で賑わっていた。御竹藪の南側は三の丸跡でここは市民体育館があるが、どちらかと言うと多くの車があるため駐車場といった感じだった。三の丸跡も土塁が残っているが、ここには唯一井戸が残っており、茶屋の隣に民部の井戸という名称であるのだが、周囲に自転車が止められていて少々写真が撮り難かったのが残念だった。

三の丸からは明丸へと移動したが、ここの土橋からは内掘と外掘の水位が違うのが良く判りなんとも面白かった。明丸には現在は動物園があるのだが、多様な動物が飼育されているのに無料で解放されているのには少々驚かされた。おかげでついつい動物を観察するのに夢中になり、思いのほかここで時間を潰してしまった。

城内を時計回りに散策したが、水堀が良く残っており、郭の形がどこもハッキリ判るのがなんとも良かったが、それよりも大勢の地元の人や観光客で賑わっているのがなんとも印象的な光景だった。