9月23日慶長出羽合戦遠征・その7(山形県米沢市)2009年10月03日 16時52分39秒

秀公園(三の丸堀跡)
【米沢城】(三の丸南東部・秀公園)

「伝国の杜」に戻った後はさすがに暗くなってきたので、ホテルに帰ることにしたが、帰るついでに三の丸南東部に立ち寄っていくことにした。

三の丸南東部、南部小学校と市民会館の間の部分が直江兼続の与力筆頭だった志駄氏の屋敷跡で、ここも説明板等は全く無いが、今は何やら空き地のようになっていた。

志駄屋敷跡から東側が三の丸の堀跡で、幼稚園と秀公園となっていたが、遺跡図によればこの公園部分が堀跡で、幼稚園の建物のある部分にかつて土塁があったのだという。公園の一角には小さな丘があるが、地図上では一応土塁のあった場所に重なるのでこれも土塁の名残かもしれないが、手持ちの資料には特に記載は無いため遺構と言えるかは判らない。

公園を出た後はホテルへ直行するつもりだったが、南部小学校の南東口付近で少々気になるものを見つけてしまった。校庭の一角にある丘なのだが、ちょうど三の丸堀跡のあたりにあり、しかも西條天満神社の土塁並の高さがあるため、どうも土塁の遺構に見えるのだが、これも手持ちの資料には特に記載はなかった。このため、恐らく学校の整備の時に土を盛っただけの場所とも思えるが、正直なところはどう判断したものか判らなかった。