11月24日晩秋の青森で城址と黄葉の旅・その5(青森県深浦町)2012年11月30日 21時31分13秒

「折曽のイチョウ」のすぐそばの山の中腹には、「関の杉」と呼ばれる杉の巨木もあり、これもまた見事なものだった。


関の杉
甕をひっくり返したような形をしているため「甕杉(亀杉)」とも呼ばれるそうである。ちなみにこの杉のある場所は「折曽の関」と呼ばれる関塞があった場所で、関という地名もそれに由来している。


関の古碑
杉の足元には古碑が集められており、そのほとんどが安倍氏(安藤氏)にちなむものだという。鎌倉時代から南北朝時代にかけてこの地は安藤氏の拠点だった場所で、鎌倉時代末期に起こった「安藤の乱」では、蝦夷管領職を争った安藤季長がこの「折曽の関」に拠って戦ったという。


陣森の旧山道
古代から中世にかけての「関」は街道を押さえるための城であり、近世の検問所のような「関」とはイメージが異なる。「折曽の関」も2つの沢に挟まれた山の上が遺跡に指定されており、東側を「陣森」、西側を「関の古館」と呼んでいる。もう一つ沢を挟んで西側の現在小学校のある場所を「関の大館」と呼んで、そこも「折曽の関」に含めているが、正確には時代が異なるので別物である。「関の杉」がある場所が「陣森」で、近くにちょうど山の上に登る山道があったので登ってみたが、登った先に何やら水道施設?のようなものがあったので、山道はその施設のためのものかもしれない。


陣森の内部
山道の周辺の山の斜面には無数の平場があり、一見すると郭跡にも見えるが、植えられている木から見て植林による改変地形の可能性の方が高い。


水道施設?
山の上の水道施設も恐らく元からあった平場を拡張して造ったとも考えられる。正直なところ上の方は自然地形になっている部分ばかりなので、これといって目に付く遺構のようなものは無かった。


山の上は・・・
ちなみに山だと思っていた場所は実際は海岸段丘で、上に登ってみると森林が広がる平地となっていた。画像は段丘の上の窪地に雨水が溜まって出来たと思われる沼。この後、段丘上を移動して「関の古館」方面に行きたかったが、途中にロープの張られた農林関係の地区があって通れそうに無かったので諦めることにした。

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