11月24日晩秋の青森で城址と黄葉の旅・その6(青森県深浦町) ― 2012年12月01日 23時08分07秒
「折曽の関」の散策後は深浦町の中心へと向かったが、思いのほか時間をかけすぎたため、着いたころにはすっかり辺りは薄暗くなってしまった。本当は町の史跡に指定されている元城跡に行きたかったが、暗くなってから山城に登るのは自殺行為なため、高台の町を見下ろす丘の上にある無為館こと深浦奉行所跡を見に向かった。
丘の上にある無為館跡はシンプルな単郭の構造で、今は公園と無人の気象観測所になっており、端の方には展望台もあってなかなか眺めは良かった。あと、結構大きな松の木が多くあるのが印象的だった。
画像は展望台から湊を眺めた景色。街灯が点灯している通り、この時点で既に真っ暗になってしまったため、あまり良い絵が撮れなかった。
遺構としては画像にあるような土塁がハッキリ確認できたが、史跡のデータ上にあった石垣は暗かったせいもあってどこにあるのか確認できなかった。
11月25日晩秋の青森で城址と黄葉の旅・その7(青森県弘前市) ― 2012年12月02日 23時07分07秒
連休最終日は前日の雪空からうって変わって晴天となったため、朝から弘前城址(弘前公園)へと出かけた。
いつも弘前城に来ると雲とか靄に隠れて見えない岩木山だが、今日はハッキリとその姿が見えたので地味に嬉しかった。画像は本丸から見た岩木山。
本丸から四の郭を見下ろすと、黄葉真っ盛りの大銀杏があった。八戸や深浦を見て周って、大銀杏と言えども大半は散ってると思っていたので、まだ黄葉のピークにある木があったことは少し嬉しい誤算だった。
画像は下から見たもので、まだ全然葉が散っていないことが判る。この木の周辺には朝からカメラマンが集まっていて大人気だった。
近くには「根上がりのイチョウ」という名で知られる大銀杏もあるが、こちらは全ての葉が落葉しており、地面には広大な黄色い絨毯が出来上がっていた。イチョウの黄葉は本当に個体差が激しいので、なかなか訪れるタイミングが難しい。
弘前城には前述の2本の他にも大銀杏があり、それは二の丸東門の土塁の部分にあるが、この木はちょうどトイレの裏に隠れている上に周囲に背の高い針葉樹があるため、どこから撮っても微妙な絵になって難しい。3本の中ではこの木が一番年上で、弘前市の保存樹にも指定されているが、立地の関係で一番地味になっているのが残念である。
二の丸東口は実は城内唯一の石橋がある箇所でもあり、紅葉もまだ残っていて意外と見逃している見所が多かった。
紅葉ではやはり本丸の椛谷が一番で、既に半分近く散っていたが、逆に散った葉で地面や階段が真っ赤に染められて、なんとも別世界な風景となっていたのが印象的だった。
11月25日晩秋の青森で城址と黄葉の旅・ラスト(青森県青森市) ― 2012年12月03日 21時43分21秒
弘前城を散策した後は、帰り支度をして新青森目指して移動し、その途中で浪岡に立ち寄った。目的地は浪岡北畠氏の初期の居城である源常館跡である。
源常館跡には「源常林の銀杏」と呼ばれる大銀杏があるため、今回立ち寄ることにしたのだが・・・残念ながら銀杏は9割落葉した状態でごらんの通りだった。この銀杏は玄上寺がこの地にあった時に植えられたとも、十三湊の藤原秀栄の子が植えたとも、浪岡氏が植えたとも言われて定かではない。
源常館跡の西端には独立した小さな丘があり、「御廟館」と呼ばれていることから墓所があったのかもしれない。丘の上には鳥居のようなものがあるので、祠か社があるのだろうけど、現在は登る道が完全に笹薮に埋もれ、麓の鳥居が倒れて道を塞ぐ有様だった。ちなみにこの付近には「姥神社」「北野神社」「北畠神社」「広峰神社」と大小の神社が集中しており、なかなか興味深い場所であった。
館跡の南には大きな池があり、ここから見るとなかなかの要害だが、この池は農業用の溜池で当時は無かった池である。
館跡は全体的に果樹園となっており、舌状の丘陵を切断するように空堀が設けられ、連郭式の縄張りとなっていた。画像はその空堀の遺構の一つ。
12月3日奥羽古城散策更新 ― 2012年12月03日 22時28分16秒
奥羽古城散策
http://www.ne.jp/asahi/saso/sai/
今回は宮城県の白石城と山形県の山形城を更新しました。
白石城は震災の復旧工事が完了したので注意書きを本文から削除し、「注意」の項目も削除しました。
山形城は10月の旅で三の丸遺構の絵が撮れたので、「縄張り」の項目に追加しました。
http://www.ne.jp/asahi/saso/sai/
今回は宮城県の白石城と山形県の山形城を更新しました。
白石城は震災の復旧工事が完了したので注意書きを本文から削除し、「注意」の項目も削除しました。
山形城は10月の旅で三の丸遺構の絵が撮れたので、「縄張り」の項目に追加しました。
12月22日年の瀬会津の旅・その1(福島県会津若松市) ― 2012年12月25日 22時58分27秒
今年最後の3連休は会津へと出かけて来た。今年は一度も温泉に行っていなかったので、まだ行ったことが無い芦ノ牧温泉に宿を取ったことが出かけるきっかけで、いつもの城址散策目的の旅では無かった。
・・・と、言ってもやはり会津若松に来ると自然とここに足が向かうわけで、雪で行き先が制限されるだけに尚更だった。しかし、想像していたよりは雪は少なかった気がする。ちなみに城内には来年の大河ドラマの主人公の新島八重関係の看板や幟が沢山あった。
赤瓦に葺き替えられて以来、城内に特に大きな変化は見られなかったが、今更ながら鉄門は冬季には閉鎖されると知った。御三階跡は相変わらず掘り起こしたままの状態で、このまま雪を積もらせて年を越すようだ。
若松城を一通り散策した後は、早めに切り上げて会津鉄道で「芦ノ牧温泉駅」へ移動した。温泉の名が付いた駅だが、温泉街はここからさらに4kmほど移動しなければならない。この駅には猫の駅長の「ばす」が居り、初日はお目にかかることが出来たが宿の送迎の方を待たせていけないと思い、特に写真などは撮っていなかった。これが今回の旅の失態で、この後は最終日まで駅長にお目にかかることが出来ず、なんとも無念であった。
余談になるが、駅の裏の水田が広がる場所は「香塩館跡」で、蘆名氏家臣の星越中の居館の跡である。