10月28日玉縄城築城500年祭(神奈川県鎌倉市)2012年11月02日 01時46分04秒

10月28日の日曜日は、玉縄城築城500年祭りのイベントの一つである「玉縄城を偲ぶご登城コースまつり」が催されていたので、これを見に出かけて来た。


七曲坂の冠木門
七曲坂には最近設置された冠木門があり、イベントの陣幕などもあって以前よりも城跡っぽい風景となっていた。


玉縄城を偲ぶご登城コースまつり
イベントでは幼稚園の建物のところで太鼓の演奏をやっていたり、子供向けの輪投げ等をやっており、七曲坂途中の踊り場では鎧武者との記念撮影みたいなものが行われていた。


玉縄城太鼓櫓跡
七曲坂を登った先の太鼓櫓跡の公園にも幟が立ち、説明看板が新たに増えていた。この公園の奥に深い堀切が確認できるが、説明板によれば実は七曲坂の旧道の跡でもあり、正確には「切通し」であるということを今回初めて知らされた。


玉縄城本丸大手門跡(清泉女学院裏門)
今回最も期待していたのが、清泉女学院裏門の特別解放であり、この裏門の場所こそが玉縄城の本丸大手門の跡である。本来はまっすぐ本丸へと登る坂であったが、現状は道は途中で突き当たって右の階段を登るようになっている。恐らく学園建設の際に虎口の部分が埋められて今のような状態になったのではないだろうか。


諏訪壇登り口
本丸に登るとちょうど学園のテニスコート付近に出るが、この隣に玉縄城のシンボルでもあった諏訪壇がある。この諏訪壇は想像していたよりもかなり大きく、「壇」とか「櫓台」というレベルでは無かった。画像は本丸から諏訪壇の登り階段を見た様子。


諏訪壇中腹の空堀と土塁
諏訪壇の中腹にはハッキリした横堀と土塁があり、端には土橋と思われる部分もあった。


諏訪壇頂上
諏訪壇の頂上は道の周辺以外は薮に覆われており、高さの割に展望はまったく望めない状態だったのが残念だったが、予想していたよりも広い削平地だったのには驚かされた。かつてこの場所に諏訪神社があったために諏訪壇と呼ばれていたそうだが、確かに神社の社殿を置いても十分スペースが余るほどの広さであった。


玉縄城址碑
諏訪壇から登った所とは逆の階段から降りると女学院の正門付近に出る。この降りた場所に玉縄城跡碑があった。


玉縄城の諏訪壇は・・・
ここまで通ってきた場所は普段は立ち入り禁止の場所であり、今回中に入れたのはお祭りイベントのおかげである。地元の方でも今回初めてここに来たという人ばかりで、ケーブルテレビの取材もやってきていた。


七曲坂の上のほう
諏訪壇を上り下り、本丸を上り下り、七曲坂を上り下り、・・・と地味に上下の移動が多いために息切れしたりもしたが、この日は貴重なものも色々見れたため気分はかなり良かった。画像は七曲坂の上の方の景色。陣幕や旗のおかげで遠くから見ると、陣地のように見えてなかなか面白かった。

11月10日城址と紅葉黄葉の旅・その1(岩手県奥州市)2012年11月12日 22時57分06秒

東北地方の紅葉シーズンも半ばを過ぎたので、週末は岩手県の南のほうへと出かけて来た。まず、最初に向かったのは城址ではなく、以前から行ってみたかった歴史テーマパークの「えさし藤原の郷」である。時代劇や大河ドラマを見ている人にはロケ地と言ったほうが、どちらかというとわかり易いかもしれない。


藤原の郷正殿
水沢江刺駅から「えさし藤原の郷」行きの無料シャトルバスが出ているのでそれに乗って移動。着いてすぐに受付を通って園内へと入るが、午前中の開園してまだそんなに経っていない時間のため人はまばらだった。ただ、どこかの学校が修学旅行(遠足?)に来ていたようで、集合を知らせるアナウンスが流れると生徒が走って入り口へと向かって行った。画像は入り口からすぐの場所にある平安様式の政庁を模した建物。


藤原の郷大通り
政庁から出た先には大路があり、この風景は既視感があったが、何で見たかよく思い出せなかった。


やぶれ門
政庁のある場所の脇には義経関係の建物があるが、その近くには焼け落ちたような門のセットがあった。これも既視感があったが、なんてことはない今年の始め頃に見ていた大河ドラマ「平清盛」で使われたものだった。


藤原の郷豊田館城門
政庁周辺を散策した後は丘の上に登り、藤原氏の館(豊田館)を模したエリアを見に向かった。画像は北郭へと入る場所にある城門で、櫓門としては最も初期(平安時代頃)の構造である。


藤原の郷豊田館御殿
豊田館内部には御殿も造られているが、ここもやはり既視感があった。たぶん、「平清盛」の劇中のシーンだったと思う。


藤原の郷豊田館紅葉
藤原の郷はちょうど紅葉が綺麗で、豊田館のあたりでも綺麗な楓(椛?)が見られた。


紅葉と河崎の柵
丘から沢側へと降りた場所には城柵を模した建物がいくつかあったが、河崎の柵を模した場所の近くの紅葉もまた綺麗だった。


藤原の郷厨川柵
沢の枝分かれした箇所には厨川柵を模した建物があるが、城柵系の建物はどれも適当に実在する柵の名前をふったとしか思えない感じがする。この建物も既視感があったが、たぶん「天地人」か「毛利元就」の大河ドラマで見た気がする。


中村郷
沢の一番奥には中村の郷(といっても家2軒と納屋があるだけだが・・・)があり、説明板によれば大河ドラマ「秀吉」で藤吉郎の生家として建てられたものだという。家の中は真っ暗な上に、ここまで来る人もまばらなため、時間帯によってはこの辺りは少し怖いような雰囲気がある。


藤原の郷伽羅の御所庭園
最後に立ち寄ったのは最初に訪れた政庁から通りを挟んで隣にある伽羅の御所で、ここの庭園はなかなか綺麗だった。庭園の奥には無量光院を模した建物があるが、遠近法を意識しているのか何故かミニスケールで造られていた。


藤原の郷伽羅の御所正殿
御所の建物もやはり既視感があったが、これは逆に心当たりが多すぎてハッキリと思い出せなかった。本来の「伽羅之御所」とは名称以外の繋がりは無いが、建物としてはなかなか良く出来ており、内部は自由に見て周ることが出来た。

11月10日城址と紅葉黄葉の旅・その2(岩手県奥州市)2012年11月13日 21時44分05秒

「えさし藤原の郷」をまんべんなく散策した後は、併設されているレストランで昼食を取り、その後は藤原の郷に隣接する場所に建っている郷土文化館へと立ち寄った。館内の展示は大雑把に言うと「産業と宗教」に関するもので、一番奥は何体もの観音像が立ち並ぶ別世界であった。


向山公園展望台
「えさし藤原の郷」に隣接する山の上は「向山公園」となっており、ここも広葉樹が多く紅葉が綺麗だった。山の最も高い場所には展望台があり、ここからは江刺の町並みを見下ろすことができ、なかなかのいい眺めだった。


展望台から藤原の郷を望む
展望台からは「えさし藤原の郷」も見下ろすことが出来たが、丘の上の豊田館周辺はある程度見えるものの、平地にある政庁などはほとんど隠れて見えなかった。


向山公園の紅葉
画像は展望台のすぐ側にある紅葉した木々。「えさし藤原の郷」の園内同様に椛や楓がちょうど見頃となっていた。他には若いイチョウの木もちょうど黄葉のピークだった。


岩谷堂城と夢の橋
向山から谷を挟んで北側にあるのが岩谷堂城のある山で、ここには「夢の橋」と呼ばれるアーチの大橋が架けられており、この橋からの眺めはなかなかの絶景であった。ちなみに「えさし藤原の郷」からもこの橋は見えており、下から見てもかなりインパクトのある風景となっていた。

11月10日城址と紅葉黄葉の旅・その3(岩手県奥州市)2012年11月14日 22時39分14秒

向山から「夢の橋」を渡った先は岩谷堂城跡の城内で、今は本丸周辺が「館山史跡公園」として整備されていた。


館山史跡公園入り口
橋を渡ってすぐの場所に駐車場とトイレがあり、その先には公園のMAPが描かれた説明板がある。公園の名称が書かれた石碑は比較的新しいもののようだったので、最近整備されたのかもしれない。ここから階段を登ると東屋がある郭(名称不明)に出る。


本丸直下の横堀
東屋のある郭から本丸へと登ると、斜面にハッキリと横堀と土塁が確認できた。ただ、『岩谷堂城絵図』と見比べると横堀ではなく帯曲輪なのかもしれない。


岩谷堂城本丸
本丸は周囲を杉に囲まれているため内部は日影になっており、内側には紫陽花が大量に植えられていた。初夏には花の名所として楽しめそうな場所である。遺構としては本丸周囲の土塁が良く残っており、奥には藤原経清、清衡親子を祀った二清院が建立されていた。


岩谷堂城の大銀杏
今回の旅の目的の一つに、この岩谷堂城本丸にある大銀杏の黄葉を見ることが含まれていたのだが、残念なことに黄葉にはまだ程遠い青葉な状態だった。藤原の郷や向山公園の若いイチョウは黄葉のピークを過ぎている状態だったので、やはり巨木・老木になるほど黄葉は遅くなるようだ。現状から考えると11月下旬か12月初めが見頃だろうか・・・。


中の丸の堀切
城跡は本丸から南西に向けて連郭式の縄張りを展開しているが、本丸と二の丸の間の中の丸には堀切や敷居の土塁が良く残っていた。中の丸には展望台もあるが、眺めの方は少々微妙だった。


岩谷堂城二の丸
御殿などの主要な建物があった二の丸跡は、想像していたよりも広大で、今は大半が野球?のグランドになっていた。


岩谷堂城大手門跡
二の丸の大手門跡は今も館山史跡公園に続く通路になっているが、絵図を見ると内枡と外枡を繋いだような面白い構造をしている。連続して道を折り曲げる虎口の構造は先月訪れた小谷山城を思い出させるが、実は同じ伊達氏の城という共通点がある。画像は大手門跡を正面から見たもので、奥の道が右に曲がる箇所が内枡の部分、左に見える土塁は外枡の部分の一部で本来は道を遮るように右へ続いていた。絵図だと石垣で出来ていたようだが、今は綺麗さっぱり取り除かれている。

11月11日城址と紅葉黄葉の旅・その4(岩手県一関市)2012年11月15日 23時26分11秒

江刺の岩谷堂から一ノ関に移動して一泊した翌朝は、北上山地を横断する今泉街道の中ほどにある大原の街へと向かった。ここはかつて大原千葉氏の居城の山吹城があった場所で、中世は城下町、江戸時代には仙台藩の宿場町として栄えた場所でもある。


麓から見上げた山吹城の風景
山間を縫って川を遡り、大東バスセンターに到着してさっそく見上げると、そこから山吹城の本丸の東屋が見えた。また、今回の目当ての山吹城の大銀杏も麓から見えたが、木はまだ青葉のようで昨日の岩谷堂の大銀杏同様にまだ来るのが早かったようだった。


山吹城大手門跡
大手口は大原中学校の背後にあり、山道はウッドチップが敷き詰められているためかなり歩き易かった。道は南側の突端部の頂上に続いており、突端部の雛壇状の郭を抜けて本丸の南側の付け根に取り付いていた。突端部から西に行けば東三の丸に行けそうだったが、その方向は藪だったため確認していない。


山吹城本丸
道を登りきった先が山頂の本丸で、郭は比較的広く瓢箪のような形をしていた。なお、瓢箪のクビレの部分がちょうど山道に繋がっている。本丸からは大原の街が一望でき、特徴的な形の室根山が見えるのが印象的だった。


山吹城の大銀杏
本丸には山吹城の城主が植えたという大銀杏があり、正確には本丸の土塁の上にあって、今では斜面に乗り出しているため、下から見るとかなり迫力があった。麓から見た時は青葉に見えた大銀杏だが、近寄って見るとそこそこ黄葉は進んでおり、あと1週間あれば綺麗な黄葉が見れそうな感じだった。


男森
本丸より東側の一段低い場所に二の丸があり、本丸同様に二の丸もそこそこ広い郭だった。この二の丸内の一角に土塁にしては妙な塊があり、本丸にあった地図には男森と書かれていた。


山吹城二の丸堀切
二の丸と東三の丸の間には大きな堀切があるが、堀切の先は腰郭に続いているため、通路であった可能性が高い。堀切は東三の丸の先と、搦手口に下りる途中にもあり、全体的に連郭式の縄張りになっているのが良く判った。


山吹城搦手口の切通し
搦手口は東の切通しになっている場所にあり、この切通しによって城跡のある峰は背後の山から切り離されている。この切通しを今は車道が通っており、南側の大原の街と、北側の山吹の農村地帯を繋ぐ最短ルートになっていた。


山吹の棚田
大原の山吹へと来た記念で、「日本の棚田百選」に北限の棚田として載っている「山吹の棚田」も見に拠ってみた。本来なら春の水が張っている時期か、秋の黄金色の時期に見るのがベストなのだろうが、なかなか雰囲気があって良い風景だった。地味に室根山が風景に入るのが個人的にはツボである。