11月7日城跡紅葉紀行・その3(福島県須賀川市)2009年11月16日 20時52分17秒

宇津峰城の千人溜
【宇津峰城】(後半)

横掘から山頂へと戻った後は、今度は鞍部の逆側の頂に登ったが、ここは千人溜という方形の郭になっており、周囲は全て土塁に囲まれていて、山の上にハッキリと遺構が残っているのは素晴らしかった。ただ、千人というのは少々大げさすぎるのではなかろうか(笑)

郭の外の鳥居のあたりからは南の方面を見渡すことができたので、ここでしばし休憩したが、麓から持ってきたパンの袋がいつのまにかはちきれそうになっていたのには少々驚いた。標高は700mに満たないし、麓からの比高差は400mほどなので、大して気圧は変わらないと思ったのだが・・・。

休憩を終えた後はさらに西側の郭(鐘撞堂跡)を散策し、そのまま気付かずに塩田口方面へ降りるつもりが馬場平口方面へ下山しそうになったが、途中で気付いて再び山頂へと引き返した。塩田口方面の山道は千人溜の外の鳥居から出てすぐの場所にあり、獣道かと思うほど狭かったのでうっかり見逃してしまっていたのだった。

塩田口方面への山道を下山するとすぐに道の脇に星神社の祠があったが、注連縄などは朽ちており、木の鳥居もなかなか年季の入ったもので、忘れられた社といった感じ雰囲気があった。

山道はさほど急ではないものの、階段が崩れていたりと少々荒れ道で意外と歩き難くかったが、思ったよりも早く西乙森との間の鞍部まで下山できた。この鞍部の部分は広い空間になっていたが、トイレやベンチなどがあり、恐らく公園化で削平されたもので、実際にここに郭があったのかはよく判らなかった。ただ、公園といってもここは登山客しか来ない気がするので、少々寂しい雰囲気だった。

鞍部からは西乙森へ登ったものの、ここは二つの頂がある小山で、宇津峰の支城と伝わるものの、ハッキリとした遺構は確認できなかった。山の西側には古峰神社の祠と東屋があるものの、周囲は藪に囲まれて展望はイマイチで、さらに道は袋小路になっており、正直ここも訪れる人は居なさそうな雰囲気があった。

西乙森から再び元来た道を戻って鞍部に降り、そこから沢沿いに山道を降ると塩田口へと辿り着くことが出来た。宇津峰山を登り始めたのが12時頃で、かなり出遅れていたため日没までに下山できるか不安だったが、思いのほか早く辿り着けてホッとすることが出来た。だが、塩田口も山の中腹にあるため、ここからさらに麓まで下山する道も長かったのは少々誤算だった。

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