11月7日城跡紅葉紀行・その2(福島県郡山市)2009年11月15日 22時54分44秒

宇津峰城の頂上鞍部から山頂側を見上げた風景
【宇津峰城】(前半)

谷田川城を散策した後は、いよいよ本命の宇津峰に登るため馬場平口へと移動した。馬場平口は谷田川口とも言い7つある登山口のうちの一つで、谷田川から途中までは車道と一緒になっており、宇津峰の鳥居がある馬場平で登山道と車道が分岐している。

宇津峰城は中世に田村荘司によって築かれた山城で、1340年に南朝の鎮守府将軍の北畠顕信を城に向かえるために拡張整備されたという。その後、1347年に北朝勢の総攻撃によって落城したが、1351年に観応の擾乱に乗じて奪還している。しかし、擾乱の終結と共に再び北朝が盛り返して多賀城の北畠顕信を討ち破り、顕信は宇津峰城に退いて立て籠もった。1352年より篭城戦が始まるが、宇津峰城の支城は次々に落城し、宇津峰本城も1353年5月4日についに落城したという。

麓から車道沿いに登り、馬場平の鳥居より山道に入るが、ベンチやトイレがある馬場平を過ぎると一気に森の中となり、自分の足音しか聞こえないくらい辺りは静まり返って少々寂しくも思えた。山道は沢沿いに登って堀底道のような場所を通り、急斜面をくの字に登ると再び車道と合流となった。

車道の先にも山道が続いているが、今回は御井戸清水に寄りたかった為、再び車道沿いに登ることにした。車道の途中には見晴台があり、ここからは遠くの郡山市街を望むことができ、なかなかの絶景ポイントだった。

見晴台からさらに登ると車道の終点があり、ここから再び山道に入って少し登った場所に御井戸郭があった。この郭には四阿があり、北側には展望も利くが見晴台よりは視界が狭いので絶景とは言い難い。しかし、この郭の一番の特徴は清水であり、郭の付け根からは今も懇々と水が湧き出る御井戸清水があった。この清水はかつて篭城していた南朝の将(北畠顕信や守永親王など)も飲んでいたとされ、なかなか興味深い場所である。

清水のある場所から切岸をほぼ直登するような道を登ると次々に階段状に小さな郭が現れ、登り切った場所が山頂のちょうど鞍部のような場所だった。とりあえずゴツゴツした石碑がある方へ登ったが、ここらへんが山頂らしく雲水峰の碑や南朝関係の碑などがあった。頂上周辺には少しピークを過ぎたような紅葉した木々があったが、本丸の急崖に咲いていたカエデ?などは真っ赤でなかなか綺麗だった。

本丸から東へ進むと少し降りた場所に長平郭があり、一面笹薮だったため内部には入れなかったが、本丸以上の広さはありそうだった。長平郭よりさらに降ると、ちょうど長平の郭の直下に横掘があり、正直なところ堀は無いんじゃないかと思っていただけに、東乙森方面から登ってくる敵に備えた堀の遺構が明確に残っているのはなんとも嬉しかった。

横掘よりさらに降ると東乙森や、柴塚城口、埋平口などに行けるが、今回はこちらから下山するつもりは無いので再び登って山頂へと戻った。

(後半へつづく)