12月27日暮詣・その4(静岡県浜松市)2010年01月12日 21時06分02秒

秋葉山本宮秋葉神社下社
【秋葉山本宮秋葉神社下社】

富士宮から西進して浜松市まで移動し、26日は浜松駅前の八百徳でうな茶漬け(ひつまぶし?)を食べ、この日は浜松市内で一泊した。翌朝はさっそく浜松市街から一路北上し、火伏せの神で名高い秋葉山を目指して移動を開始した。

山間を縫って進む道を抜けるとやがて気田川沿いの集落へと出た。気田川に架かる秋葉橋を渡った先の岬のような場所が秋葉神社の下社がある場所で、さすがに山間地の午前中の早い時間帯は人は居ないと思ったが、予想に反して既に先客が何人か参拝に来ていた。

参道の両脇には2軒の商店?が向かい合って建っていたが、さすがにまだ早すぎるのかどちらも開きそうな気配は無かった。(※秋葉山から下山した午後には開店していた)

参道を進んで階段を登ったすぐ先が拝殿で、思いのほか境内は狭く、まさに参拝し易い里宮といった感じだった。また拝殿の脇には巨大な鉄ヘラ(スコップ?)のようなものが奉納されており、なかなか存在感があるものだった。

手水舎で清めて拝殿にて参拝を済ませた後はいつもどおりにお守りを購入して境内を後にし、次の目的地の山頂の上社を目指して移動を開始した。

12月27日暮詣・その5(静岡県浜松市)2010年01月13日 22時59分26秒

信玄の足掛け岩(海抜570m付近)
【秋葉山道中】(信玄足掛けの岩)

秋葉神社下社を参拝した後は、秋葉山の麓の坂下の集落へと移動し、山頂の上社を目指して登山を開始した。

集落の中を通る石畳の坂道を登った先には三の鳥居跡があり、それより先は完全に山道となっていた。山道といってもさすが信仰の山で、参道は広く比較的歩きやすい道となっていた。また、参道の所々に何かの建物の跡があり、登り始めてすぐの海抜200mの場所には三河屋跡?の石垣などがあった。中でも気になったのが海抜318mの小豆坂の場所にある石垣や、そのさらに上に登った所にある十八丁茶屋跡の石垣などでかつてはこの山の中に様々な建物があったのだと想像するとなんとも不思議なものだった。

茶屋のあたりまでは九十九折の登り道だったが、だんだん道はカーブよりも直線が多くなり、しばらくすると四の鳥居跡に出た。なお、鳥居は銅製だったため戦時中に徴収されてしまったという。

四の鳥居からさらに登ると子安観音があり、そこからさらに登ると急に視界が開けて絶景が広がる場所へと出た。どうやら鉄塔があるためここだけ木々が伐採されているようである。

絶景ポイントから再び森の中へと入り参道を進むと、信玄の足掛け岩なるものがあった。説明板は既に朽ちていたが、どうやら信玄がここに足を掛けて弓を射ったのだという。まぁ、伝説の類でさすがに信玄がわざわざ山登りをしたとは思えないが、秋葉神社には武田信玄が奉納した刀等があり、実際に武田家がこの地に進出した歴史もあるため全く関係ないとは思えないのが興味深い。

海抜600mを越えたあたりで富士見茶屋跡へと辿り着くが、ここで道は初めて一度下り坂となり再び上り坂となった。そしてこの坂を登った先にはやっと秋葉権現を祭る秋葉寺三尺坊の仁王門が見えてきた。

12月27日暮詣・その6(静岡県浜松市)2010年01月14日 23時31分15秒

秋葉山中腹の標高700m付近にある秋葉寺
【秋葉山秋葉寺三尺坊】

土佐坂を登り切った先には立派な仁王門が立っており、門を抜けた先には秋葉大権現を祀る秋葉寺の本堂があったが、門と本堂の間の境内は山の中腹とは思えないほど広く、これには少々驚かされた。

秋葉寺はかつては神仏習合の寺社だったが、明治の神仏分離政策によって廃寺にされており、現在の寺はその後にこの場所に再興されたものだという。

本堂で参拝を済ませた後は寺の裏にあるトイレで用を済ませ、再び山頂目指して移動を開始したが、寺の周囲は上も下も人が歩けるだけの山道しかなく、麓からも600mの比高差があるため、どうやって建物やインフラを整備したのかなかなか興味深いものだった。なお、寺の本堂の裏の林の中にも何やら広い平場があるため、ここにもかつて何か建っていたと思われ、これもまた気になる場所であった。

寺の場所からさらに山道を登っていくと五の鳥居跡があるが、ここも「四」や「三」同様に残っているのは土台だけといった状況だった。しかし、このあたりから急に杉の大木が目立つようになり、途中には参道の真ん中に立ちふさがっている巨木もあって、急に周囲の風景が神々しく見え始めたのがなんとも不思議な感じだった。

12月27日暮詣・その7(静岡県浜松市)2010年01月15日 22時04分32秒

秋葉神社上社の鳥居
【秋葉山本宮秋葉神社上社】

巨木が聳えて麓とは風景が一変した参道を登ると、ついに上社の山門が見える場所まで辿り着いた。

かつて秋葉山は2度山火事に襲われたが、この山門から五の鳥居付近までの一帯は延焼を逃れており、つまりこの場所が秋葉山中で最もかつての姿を留めている場所ということになる。事実、ここに辿り着いた時には、比高700mの山道を登ってきたこともすっかり忘れて見入ってしまっていた。

山門を潜り神社の本殿を目指して進むと再び風景は一変し、近代的な造りの建物や護岸が見える場所へと迷い込んでしまった。ここが紛う事無き秋葉神社の上社で、歴史を感じさせる下社とは違い、最近造られたような風貌の場所となっていた。

とりあえず、手水舎で清め、中空の石の階段を登ると、目の前には金色の鳥居が現れた。鳥居といえば赤色か、木や石などの原色だと思っていただけにこれはなかなか衝撃的だった。

少々ショックを受けたまま石段を登り本殿で参拝を済ませたが、本殿はちゃんと木造だったので妙な安心感を覚えてしまった。本殿のある場所からは山を越えて平野部や海まで見えるそうだが、この日は晴れてはいるものの少々霞がかかっており、眺めは少々残念なことになっていた。

参拝を済ませ、また御守りを買った後は少し休んですぐ下山する予定だったが、ひどく空腹に襲われたため神社に隣接する食事処でついつい蕎麦なんかを食べてしまった。

年末とは言え雪が無いためか参拝客はそこそこおり、天狗の皿投げなどの占いで大層賑わっていたが、ほとんどの人が表参道からは着ておらず、車で登れる裏参道側から来ている人ばかりだった。このため、帰り道は寂しく下山することとなったが、それでもさすが信仰の山で下山中も2人ほどの参拝客とすれ違い、しかも1人の健脚な御老公に追い抜かれてしまった。

秋葉山から下山し、再び下社の辺りへ辿り着いた時には予想以上に時間を消費していたが、思いのほか足に疲れが無かったのが不思議だった。恐らく普通の山歩きよりも山道が良かったせいなのだろう。

12月27日暮詣・ラスト(静岡県浜松市)2010年01月16日 20時45分48秒

犬居城見張曲輪の展望台からの眺め
【犬居城】

秋葉山からの下山後、どうしても気になる場所があったため、休憩も簡単に済ませて再び移動を開始した。その気になる場所というのは犬居城のことで、なぜか秋葉山山中の案内板にことごとく「犬居城まで○○km」と書いてあるため、山登りの最中もずっと気になっていたのである。

秋葉神社下社と同じ丘陵の上にある原地区に移動し、案内に従い移動をしているとやがて道は集落を抜けて神社の鳥居を潜り、そして森の中へと入っていった。その後はひたすらアップダウンを繰り返す稜線の上を移動する道が続いたが、やがて堀切跡の先にごつごつした岩場が見えるピークへと辿り着いた。

岩の目立つ道を登った先の頂上には展望台があり、説明板によればどうやらここが城跡の見張台があった場所のようであった。展望台はそこそこ年季が入っており、登っても大丈夫なのか色々な意味で気になったが、登ってみた感じでは特に問題は無さそうだった。この展望台からの眺めはなかなか素晴らしく、やや日が傾いてきた犬居の城下が箱庭のように見渡せるのがなんとも絶景だった。

見張台から降りてさらに奥に進むと少し低くなった場所に本丸跡があり、本丸跡から1段下がった場所に二の丸跡があった。本丸跡にはテーブル等が設置されていたものの、二の丸跡のあたりは草木に覆われていた。

本丸・二の丸を抜けてさらに進むと、今でもハッキリと判る虎口跡があり、その先には馬出のような郭があった。説明によれば東曲輪とのことだったが、この郭の周囲には空堀がよく残っており、なかなか遺構がハッキリしていていい感じだった。

東曲輪から先に進むと道は下り坂となり、やがて山を降りて犬居の集落へと辿り着いた。さすがにこれ以上は散策する気力が出なかったため、ここで再び浜松へと戻り、浜松市内で再びうなぎを食して神奈川への帰途についた。

なお、食事に行った店は「あつみ」で、情報誌には人気店と載っていたが、ちょうど夜の営業開始時間だったためか、待つことも無くすんなりと席に通された。ここでは人生で初めてうなぎの白焼きを食べたが、うなぎを醤油と薬味で食べるというのはなかなか新鮮で、いかにも焼き魚という感じだったが、それでもなかなか美味しかった。