1月9日初詣の旅・その5(京都府京都市伏見区) ― 2010年01月22日 21時06分11秒
【伏見桃山城運動公園】(伏見城跡)
明治天皇の御陵(伏見桃山陵)を訪れた後は、そこから北西部にある桓武天皇の御陵(柏原陵)にも立ち寄ったが、こちらも宮内庁によって立ち入れる場所が制限されているものの、規模は小さなものだった。どうやらここは伏見城があった頃は永井久太郎の屋敷があった場所だそうで、桓武天皇陵として整備されたのは明治時代からなのだという。
柏原陵を見た後は伏見桃山城運動公園へと向かったが、公園へ続く道の南側には治部池(立入禁止)があり、また柏原陵と公園との間にも大きな空掘(元は水堀?)が残っているため、この部分は城の絵図にある土橋と合致して判りやすい遺構だった。
公園内に入り駐車場を越えた先には大きな城門と天守閣があったが、これらは模擬建造物であり、かつてここにあった遊園地のシンボルだったものだという。ディズニーランドで例えるならシンデレラ城みたいなものだろうか・・・。この天守閣は現在は閉鎖されており、内部には入れないが、それでもやはり目立つためか天守閣を背景にして写真を撮っている人々が多かった。なお、伏見城があった時代はここは御花畑(庭園又は野草園)があった郭だという。
模擬天守のある場所からさらに奥に進むと野球場があり、そのさらに奥には木下大サーカスのテントが張られていて、内部はたいそう賑わっているようだった。このあたりは長束正家と前田玄以の屋敷があった場所で、今は特に目を見張るようなものは無かったが、郭の形が今も残っているというのはなかなか良かった。
長束正家屋敷跡からは堀跡(北堀)の底へと降りて見たが、今回散策した中ではここが最も驚かされる遺構だった。北堀は堀底が公園の一部として整備されているが、この窪地は東の端から西の端(テニスコート)まで500m以上の長さで続いており、堀の幅も広くて深く、なんといっても人為的に掘ったというのが判る地形なのがなんとも良かった。
明治天皇の御陵(伏見桃山陵)を訪れた後は、そこから北西部にある桓武天皇の御陵(柏原陵)にも立ち寄ったが、こちらも宮内庁によって立ち入れる場所が制限されているものの、規模は小さなものだった。どうやらここは伏見城があった頃は永井久太郎の屋敷があった場所だそうで、桓武天皇陵として整備されたのは明治時代からなのだという。
柏原陵を見た後は伏見桃山城運動公園へと向かったが、公園へ続く道の南側には治部池(立入禁止)があり、また柏原陵と公園との間にも大きな空掘(元は水堀?)が残っているため、この部分は城の絵図にある土橋と合致して判りやすい遺構だった。
公園内に入り駐車場を越えた先には大きな城門と天守閣があったが、これらは模擬建造物であり、かつてここにあった遊園地のシンボルだったものだという。ディズニーランドで例えるならシンデレラ城みたいなものだろうか・・・。この天守閣は現在は閉鎖されており、内部には入れないが、それでもやはり目立つためか天守閣を背景にして写真を撮っている人々が多かった。なお、伏見城があった時代はここは御花畑(庭園又は野草園)があった郭だという。
模擬天守のある場所からさらに奥に進むと野球場があり、そのさらに奥には木下大サーカスのテントが張られていて、内部はたいそう賑わっているようだった。このあたりは長束正家と前田玄以の屋敷があった場所で、今は特に目を見張るようなものは無かったが、郭の形が今も残っているというのはなかなか良かった。
長束正家屋敷跡からは堀跡(北堀)の底へと降りて見たが、今回散策した中ではここが最も驚かされる遺構だった。北堀は堀底が公園の一部として整備されているが、この窪地は東の端から西の端(テニスコート)まで500m以上の長さで続いており、堀の幅も広くて深く、なんといっても人為的に掘ったというのが判る地形なのがなんとも良かった。