3月14日倒壊した大銀杏の御神木(神奈川県鎌倉市)2010年03月14日 23時47分41秒

倒壊した御神木の再生作業の様子
【倒壊した御神木の再生作業の様子】

3月10日の「鎌倉の大銀杏が倒壊した」というニュースはかなり衝撃的で、信じられないできごとだったが、TVでその様子が映し出された時はショックで言葉にならなかった。というのも、つい3ヶ月前の12月に大銀杏の紅葉の様子を写したばかりであり、まさかその3ヵ月後に大銀杏千年の歴史に幕が降ろされるとは夢にも思わなかったからである。

この大銀杏は歴史を少しかじった人には有名な場所で、1219年に鎌倉幕府3代将軍の源実朝が甥の公暁に暗殺された場所である。この時、公暁はこの大銀杏に隠れて八幡宮に参拝にやってきた源実朝を待ち構えていたのだという。

14日はさすがに気になったので実際に現地を訪れてみたが、銀杏の周囲は広く立ち入り禁止になっており、表参道の階段が通れないようになっていた。このため、八幡宮に参拝するには東西の脇道を使うように誘導されていた。

肝心の大銀杏はすでに倒壊現場から撤去されて脇に移されており、一部を植え返して再生させるためか、ばっさりと幹の途中から切られていた。仮に再生しても以前のような迫力のある紅葉の様子はもう見れないため、残念な気持ちにはかわりがなかった。

3月14日倒壊した大銀杏の御神木・回想(神奈川県鎌倉市)2010年03月15日 22時47分27秒

紅葉した大銀杏
【3ヶ月前の鶴岡八幡宮の大銀杏】

昨年12月に鶴岡八幡宮に参拝した時の、黄金色に紅葉した大銀杏の様子。まさかこれが倒れるとは夢にも思いませんでした・・・。

3月20日木曽路中山道遠征・その1(長野県木曽町)2010年03月25日 23時52分20秒

福島宿上之段地区
【福島宿】

今回の3連休は長野県から岐阜県へ抜ける中山道の周辺へと出かけてきました。

朝に神奈川から移動し、お昼ごろに木曽路の福島宿へと着いたので、そこで名物の「すんきそば」を食べることにした。すんきそばは初めて食べる蕎麦だったが、漬物の酸味がアクセントを添えていて予想以上においしかった。

食後はその足で宿場町である福島宿を散策し、歴史ある建物がよく残る「上之段」地区を訪れたが、ここには宿場町特有の折れ曲がる道や、なまこ壁の家などがあってなかなか良かった。ただ、町屋は少なく見所はそれほど多いわけでは無かった。

3月20日木曽路中山道遠征・その2(長野県木曽町)2010年03月26日 23時09分44秒

大通寺の鐘楼門
【大通寺】(小笠原内蔵助屋敷跡・上之段城跡)

上之段の宿場町の通りから外れ、脇道を進んでいくとその突き当たりには大通寺の鐘楼門があった。大通寺の鐘楼門は1778年に建てられたもので、木曽町では最も古い建造物のひとつに数えられている。

大通寺は1601年に小笠原内蔵助屋敷跡に山村氏によって建立された寺で、小笠原内蔵助屋敷はいわゆる上之段城の居館部分のことであるという。

とりあえず寺の周囲を散策してみるが、周囲は住宅地で、線路を越えた先も住宅地でこれといったものは見当たらなかった。そのまま山側に登っていけば公園にたどり着くらしいが、そこに遺構があるとも聞いていないので、そこまで行くのは時間の都合上やめておくことにした。それでも上之段地区自体が南北を急斜面に挟まれた岬のような地形のため、城跡があったのもよく判るような気がする場所だった。

3月20日木曽路中山道遠征・その3(長野県木曽町)2010年03月27日 21時00分52秒

福島の関()
【福島の関】

上之段から木曽福島の町中を通って北上すると、やがて木曽路の関所跡である福島の関へとたどり着いた。この関跡の場所もまた上之段同様に高台にあり、ここへ上る道から見る眺めもまたなかなか良かった。

福島の関は江戸時代に造られた中山道の関所で、尾張藩木曽代官の山村氏が代々関守を兼任していたという。

福島の関跡には番所が復元されており、内部では資料も展示されていて見て回ることもできたので良かったが、この場所自体はそれほど見所は多く無かった。なお、この復元番所のある位置は実際の番所の位置よりずれた場所にあり、本来の位置は広場になっていて建物跡を平面で表示していた。