3月21日木曽路中山道遠征・その6(岐阜県中津川市)2010年03月30日 23時35分49秒

馬籠城の説明板
【馬籠城】

木曽福島より中津川まで移動して一泊した翌日は、朝から宿場町で有名な馬籠へと移動した。前日とは打って変わって朝から愚図ついた天気だったが、馬籠に着いて早々降り出してきてしまい、雨の中を足早に馬籠宿から西に少し離れた場所にある馬籠城へと向かった。

馬籠城は中世に木曽氏の支城だった場所で、1584年の小牧長久手の戦いで豊臣秀吉と徳川家康が対立した際には、木曽氏は豊臣氏に付き、徳川勢に備えるために家臣の島崎重通が城を守備したという。しかし、徳川方の信濃衆が攻め寄せてくると、島崎氏は馬籠城では支えきれないと判断し、妻籠城へと撤退したという。

雨の中馬籠城跡へとやってきたものの城跡は小さな丘で、確かに島崎氏が城を捨てて撤退したのも判るような縄張りであった。この丘は中山道が通っているため、今では民家が道路沿いに立ち並びあまり城跡の名残は見ることができなかった。なお、城の説明板は道路沿いにあり、城跡の中心?らしき場所は竹薮になって小さな社が祭られていた。