11月22日糠部三連休遠征・その4(青森県南部町)2009年12月08日 21時14分04秒

東側の沢(堀跡?)越しに見た鎧神館跡(画面奥の台地)
【大向館】

二戸から八戸に移動して一泊した翌日は、朝から三戸方面へと移動し、南部氏の「三戸五ヶ城」の中でまだ確認したことが無い「大向館」を訪れた。

大向館は中山構、蝦夷館、鎧神館を合わせた総称であり、中山構は南部師行が根城を本拠地とする以前に居た場所と伝わり、鎧神館は鎧に似た岩を御神体として祀っていた場所だという。

三戸駅から北東に見える台地の部分が中山構であり、上に登ってみるとなかなか広く、畑が広がり一部は住宅地となっていた。特にこれといったものは見つけれなかったが、後で三戸図書館で調べたところ、どうやら祠などがあるようで、自分が見るべき場所を間違えていたようだった。

中山構から北東の台地はさらに高くなっており、ここが蝦夷館で頂上部分は畑となっており、南側の腰郭のような場所は果樹園となっていた。全体的にメリハリが無いが、現在県道134号が通っている部分を堀跡と考えると、確かに蝦夷館跡は周囲から切り離された丘となっており、なんらかの建物があっても良さそうな広さも十分あった。

蝦夷館から沢を隔てて北に見える丘が鎧神館で、北側は馬淵川に接する急斜面で、東西を自然の沢に挟まれており、唯一陸続きの南側を切って切岸を造るなど明らかに人工的に造られた要害となており、中山構や蝦夷館よりもハッキリした遺構だった。館跡は全体的に果樹園と畑となっており、ちょうど陸続きだった場所には民家が集まっていて、収穫時期を過ぎたとはいえ農道を外れて散策することは出来なかった。文献に書かれている衡清水や鎧神の岩についてもよく判らず、畑に居た現地の人に聞いても手がかりすら掴めなかった。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://kojoh.asablo.jp/blog/2009/12/08/4747448/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。