12月12日仙台遠征・その5(宮城県仙台市) ― 2009年12月26日 00時22分45秒
【境野館】
長館を散策し、楯山の散策を諦めた後は秋保氏一門の境野氏の居館である境野館を訪れた。境野館は長館とは谷を隔てた先の段丘上にあり、意外と近い位置にあるが、この谷の部分より西が長袋の秋保本家領で、東が分家の境野領となり、お互いちょうど領境に館を構えているのがなんとも面白い。
一度谷を昇り降りして渡り、東側の段丘上に登ると親切にも「境野館まで300m」の標識があった。指示に従い道なりに行くとやがて境野館の説明板が見えてきたが、境野館はここから沢を越えた先の段丘部分だという。沢には土橋がかかっていたが、明らかに現代工法によるもので、かつては地続きの北側からのみ侵入可能だったのだろう。
城内の段丘部分は北から南へと伸びた岬状になっており、堀切で切られた先端部分の郭は今は畑として利用されていた。この郭から堀切を隔てた北側の郭は笹薮になっており、内部はイマイチ良く判らなかった。これらの郭の東西の一段下には腰郭があったが、基本的に南北に連なる連郭式の縄張りのようであった。
雨の中で薮を突破するほど勇気が無かったため、一度戻って大きく迂回してから縄張りの北側へと出たが、やはり北側も笹薮となっていた。北側は段丘から山へと続いており、山の上には詰め城の遺構が見られるそうだが、山道もあるにはあるものの藪も濃かったため、雨中の山登りは諦めることにした。山は少し離れて見ると山頂部分だけがなぜか広葉樹となっており、なんとも気になる場所なのでいつかは登ってみたいものである。
長館を散策し、楯山の散策を諦めた後は秋保氏一門の境野氏の居館である境野館を訪れた。境野館は長館とは谷を隔てた先の段丘上にあり、意外と近い位置にあるが、この谷の部分より西が長袋の秋保本家領で、東が分家の境野領となり、お互いちょうど領境に館を構えているのがなんとも面白い。
一度谷を昇り降りして渡り、東側の段丘上に登ると親切にも「境野館まで300m」の標識があった。指示に従い道なりに行くとやがて境野館の説明板が見えてきたが、境野館はここから沢を越えた先の段丘部分だという。沢には土橋がかかっていたが、明らかに現代工法によるもので、かつては地続きの北側からのみ侵入可能だったのだろう。
城内の段丘部分は北から南へと伸びた岬状になっており、堀切で切られた先端部分の郭は今は畑として利用されていた。この郭から堀切を隔てた北側の郭は笹薮になっており、内部はイマイチ良く判らなかった。これらの郭の東西の一段下には腰郭があったが、基本的に南北に連なる連郭式の縄張りのようであった。
雨の中で薮を突破するほど勇気が無かったため、一度戻って大きく迂回してから縄張りの北側へと出たが、やはり北側も笹薮となっていた。北側は段丘から山へと続いており、山の上には詰め城の遺構が見られるそうだが、山道もあるにはあるものの藪も濃かったため、雨中の山登りは諦めることにした。山は少し離れて見ると山頂部分だけがなぜか広葉樹となっており、なんとも気になる場所なのでいつかは登ってみたいものである。