11月23日糠部三連休遠征・ラスト(岩手県野田村) ― 2009年12月21日 21時16分19秒
【野田城?】
高館の散策で思いのほか体力と時間を使ってしまったが、気を取り直し久慈市を出発し、ひと峠越えて野田村へと入った。野田村の中心部にある「城内」という地名を目指して進むと急に巨大な鳥居が目に入った。地図で愛宕神社があることは知っていたが、まさか村にこんな巨大な鳥居があるとは思っても見なかったので(失礼)、これには驚かされた。
愛宕神社がある寺山の南側には海蔵院があり、野田家縁の寺院という。「南部諸城の研究」では城内という地名は野田氏の居館跡に因むものだとしており、恐らく寺院の前を流れる川より寺山側に居館があったのだろうと思うがこれといったものは見当たらなかった。
海蔵院に参拝して墓が縦横に立ち並んで迷路のようになった寺山に登ったが、山頂付近に野田家の由来を記した説明板が立っており、これを読んだ所、野田氏は一戸郷から玉川郷(玉川館?)に移り、その後に古舘山(野田城?)や北の越(宇部館?)に住んだという。困ったことに説明板には「城内」についての記述は無く、海蔵院が野田家の援助で開基したことしか関係ありそうな記述が無かった。
寺山の西側には小さなピークがあり、ここには稲荷神社があったが、この神社の側には堀切のようなただの切り通し道のような箇所があり、寺山もひょっとすると城跡の一部なのではと思わされるものだった。
寺山を降りた後、山と山の間をくり貫いたように流れる小川を渡り、西側の丘へと登った。一応、ここが城山らしいのだが、特にそれといった説明は無く、看板にも自然遊歩道と書かれてあるだけだった。散策してみた感じでは自然地形が多く、あまり加工されたような跡は見当たらなかった。ただ、丘陵の中央にある谷間の底は比較的広い平坦地になっており、かつて何かあったようにも見えて興味深かった。
結局、明確な遺構が見られない上に、野田家の説明にもこの場所が載っていなかったため、どうも消化不良だったが、思いのほか時間を懸け過ぎてしまったため、今回はこれで切り上げて神奈川への帰途につくことにした。
高館の散策で思いのほか体力と時間を使ってしまったが、気を取り直し久慈市を出発し、ひと峠越えて野田村へと入った。野田村の中心部にある「城内」という地名を目指して進むと急に巨大な鳥居が目に入った。地図で愛宕神社があることは知っていたが、まさか村にこんな巨大な鳥居があるとは思っても見なかったので(失礼)、これには驚かされた。
愛宕神社がある寺山の南側には海蔵院があり、野田家縁の寺院という。「南部諸城の研究」では城内という地名は野田氏の居館跡に因むものだとしており、恐らく寺院の前を流れる川より寺山側に居館があったのだろうと思うがこれといったものは見当たらなかった。
海蔵院に参拝して墓が縦横に立ち並んで迷路のようになった寺山に登ったが、山頂付近に野田家の由来を記した説明板が立っており、これを読んだ所、野田氏は一戸郷から玉川郷(玉川館?)に移り、その後に古舘山(野田城?)や北の越(宇部館?)に住んだという。困ったことに説明板には「城内」についての記述は無く、海蔵院が野田家の援助で開基したことしか関係ありそうな記述が無かった。
寺山の西側には小さなピークがあり、ここには稲荷神社があったが、この神社の側には堀切のようなただの切り通し道のような箇所があり、寺山もひょっとすると城跡の一部なのではと思わされるものだった。
寺山を降りた後、山と山の間をくり貫いたように流れる小川を渡り、西側の丘へと登った。一応、ここが城山らしいのだが、特にそれといった説明は無く、看板にも自然遊歩道と書かれてあるだけだった。散策してみた感じでは自然地形が多く、あまり加工されたような跡は見当たらなかった。ただ、丘陵の中央にある谷間の底は比較的広い平坦地になっており、かつて何かあったようにも見えて興味深かった。
結局、明確な遺構が見られない上に、野田家の説明にもこの場所が載っていなかったため、どうも消化不良だったが、思いのほか時間を懸け過ぎてしまったため、今回はこれで切り上げて神奈川への帰途につくことにした。