4月25日桜紀行 宮城県南部編・ラスト(宮城県山元町)2010年05月13日 00時19分22秒

蓑首城本丸跡(坂元神社境内)の桜
【蓑首城】(坂元神社)

亘理城の散策後は、そこからさらに南下して山元町内に入り、坂元の街を目指して移動を開始した。目的地は山元町の桜の名所である蓑首城跡である。

蓑首城は小堤城の支城として亘理氏(武石氏)家臣の坂元三河守によって築かれた平山城で、後に伊達家の城となって伊達家家臣の大條氏がこの城に置かれたという。

とりあえず坂元神社の丘を目指して街中を移動をしたが、坂元小学校の手前の住宅地を通った所で思いのほかハッキリとした三の丸跡の遺構を発見することができた。これらの遺構はすべて民家の敷地内にあるため、「立ち入りはご遠慮ください」の看板が立てられているが、遺構は外からでも十分確認することができた。まず、目に付くのが三の丸土塁とその間にある三の丸大手門で、門は残念ながら壁と扉が失われているようだったが、それでも立派なものだった。他にも敷地の奥には茶室が見え、庭のような場所には水堀跡と思われる池も確認できた。

三の丸跡の遺構群を見た後は坂元小学校へと移動したが、こちらは二の丸跡の看板が立っているくらいでこれといったものは確認できなかった。

学校を回りこむ道を進んだ突き当りにある丘が本丸跡で、この丘の上に坂元神社が鎮座していたが、ここの境内には桜が咲き乱れてかなり綺麗であった。ただ、惜しむべきは太陽が既にかなり低い位置にあったため、境内が陰になってしまっており、明るい絵が撮れなかったことだろう。

本丸は良く見ると神社の社殿が堀切にまたがって建てられており、桜の咲き乱れる参道側は広い郭だが、社殿奥は狭い郭となっていた。この奥の郭には土塁が部分的に残っており、かなり深い堀切(空壕)によって東側の丘陵から完全に切断されている様子はなかなか見事だった。