4月18日桜紀行 丸森編・その4(宮城県丸森町)2010年05月01日 13時57分05秒

大堀跡の石碑と桜
【金山城:大堀跡】

金山から下山後は再び丸森へと戻ろうとしたが、金山の街中で桜が綺麗な場所があったので近くまで行ってみた所、ここもかつて金山城の遺構のあった場所であった。

金山城の麓の武家屋敷跡の外側にはかつて大堀(惣堀)が巡っており、廃城後も水堀は残っていたそうだが、近代になって水堀の水質悪化に伴い埋め立てられてしまったという。その後は堀跡が通りとなって今に至るという。

桜に誘われて着てみたものの、確かに通りは不自然な形をしていて気になったが、傍にある石碑に堀跡の説明が書かれていたおかげで、なんとなく納得することができた。この石碑の背後に学校があり、桜はその校内にあったが、ちょうど満開で綺麗なものだった。

4月18日桜紀行 丸森編・その5(宮城県丸森町)2010年05月02日 21時29分09秒

鳥屋嶺神社の桜
【鳥屋館】(鳥屋嶺神社)

金山の町より丸森の町に戻った後は、街中の阿武隈川沿いにある小高い丘陵へと向かった。目当てはこの鳥山(鳥屋嶺)と呼ばれる小さな独立丘陵にある鳥屋館跡である。

鳥屋館は丸山城の城主の大条氏によって築かれた館で、元々は鳥屋嶺神社のある丘だったが、神社を西側に移して館が築かれたという。そして、大条氏の後に佐々氏が城主となり、その時に神社が修繕されて再興されたという。

住宅地を抜けてまず丘の西側にある鳥屋嶺神社を目指したが、この神社の傍にも桜の木があり、丘を覆っている杉?に負けじと高く伸びて可憐な花を咲かせていた。

神社に参拝後、神社の背後から川沿いの堤防に繋がる散策路に出れたが、ここから丘の上に登った所、丘を横切るように掘られた堀切を2つ確認することが出来た。正直なところあまり情報が無かったので期待していなかっただけに、このハッキリした遺構には驚かされることとなった。

ただ、困ったことに散策路と丘の大部分との間には金網が張り巡らされており、遺構はこの金網越しにしか確認することが出来なかった。遺構がよく残る西側は雑木林だが、東側は綺麗に削平されてまるで牧草地のようになっており、面積からいってこのあたりに居館があったのだろうと思われるが、特にこれといったものは確認できなかった。

なお、西側の堤防沿いにも桜の木が何本かあり、いずれも満開でなかなか綺麗だった。

4月18日桜紀行 丸森編・ラスト(宮城県丸森町)2010年05月04日 21時22分48秒

大館跡の愛宕神社
【大館】

鳥屋館跡を散策した後は堤防沿いに丸森大橋を目指して移動したが、この堤防沿いにも桜の木が何本かあって満開の花を咲かせていた。丸森大橋を渡って目指した先は阿武隈川沿いに聳える山にある大館跡で、こちらは鳥屋嶺の「丘」と違って本当の「山」であった。

とりあえず、山頂にあった愛宕神社を中腹に移したと聞いたので、その神社を目指したが、この神社と近くの公園にも桜が咲いていてなかなか綺麗だった。ちなみに大館のある山はほぼすべて緑の針葉樹林であった。

とりあえず参道を登り愛宕神社へと向かったが、階段部分はまだ良かったものの、坂道は泥濘状態になって酷いことになっていた。道の脇の草を踏んでなんとか登り、社殿に着いて参拝したが、社殿の中で人が何やら祭り?の準備をしていたようだった。

愛宕神社の場所からは山の上に登れないようだったので、参道を降りて公園の脇にあった林道から山頂を目指すことにした。道は斜面を横に移動しながら途中で折れて上へと続いていたが、道は常に泥濘で所々に水溜りが出来ているなど酷いものだった。それは斜面も同様で、草木も雨が降った後のように濡れている状態のため、道が2度目に折れ曲がった場所でついにギブアップしてしまった。

結局、靴が泥だらけになっただけの徒労に終わったが、今思えば中腹の林道となっていた部分は帯郭の跡だったのではないかと感じられた。

4月24日桜紀行 宮城県南部編・その1(宮城県岩沼市)2010年05月07日 01時42分25秒

鵜ヶ崎公園内の桜
【鵜ヶ崎城】

先週に続き再び南奥へと出かけたが、桜前線は思いのほか前進しておらず、先週同様に白石川沿いの桜が見頃となっていた。とりあえず、今回は仙台まで北上してみようと思って移動をしたが、岩沼の鵜ヶ崎城跡の桜がちょうど綺麗だったので寄り道することにした。

鵜ヶ崎城は平安時代に源重之によって築かれたとも、戦国時代に泉田安芸によって築かれたとも伝わり定かではない。中世以前には城は鵜ヶ崎と呼ばれる丘の上にあったが、後に城山の東の岩沼の先の湿地帯の中に拡張され、近世の絵図では城山が放棄されて中世とは別の姿の城となっている。このため、中世鵜ヶ崎城(武隈城)と近世鵜ヶ崎城(岩沼要害)は別の城と考えても良さそうである。

近世鵜ヶ崎城こと岩沼要害は既に城跡が市街化で消滅しており、本丸があった場所は岩沼駅となってしまっているが、良く見ると駅の西側ロータリー付近は少し高くなっており、沼があったと思われるマンション付近は低くなっているなど面影がちょっとだけ見て取れた。

とりあえず、駅西側のロータリーから鵜ヶ崎の丘が見えていたため、それを目指して移動するが、丘には住宅地を回りこまないとたどり着けない意外と厄介な場所であった。

丘の周囲は住宅地に囲まれ、頂上の主郭と東側、南側の郭が公園として整備されており、このうち南側の郭の桜(ソメイヨシノ?)が満開で綺麗であったが、主郭のシダレザクラも落ち着いた雰囲気があって良かった。ただ、丘の近くで宅地工事をしており、東側の郭に工事関係者の車両が駐車していたため、絵が撮り辛いのが困り種であった。

4月24日桜紀行 宮城県南部編・その2(宮城県仙台市)2010年05月08日 02時54分42秒

仙台城大手門跡の手前付近
【仙台城】

岩沼に寄り道後は仙台へと移動したが、仙台の桜は良くてもまだ満開の手前で、全体的には5分咲き程度であった。もちろん仙台に着いて真っ先に仙台城へと向かったが、こちらも咲き具合は同様であった。

仙台城は伊達政宗が国分氏の千代城跡に築いた山城で、以後は仙台藩の府城となり、後に伊達忠宗によって麓に拡張されて近世平山城となっている。

とりあえず三の丸跡から散策したが、長沼・五色沼沿いの桜は良くて5分咲きで、最も良く咲いているのは大手門前の日当たりの良い場所くらいだった。大手門跡から東北大学キャンパスとなっている二の丸跡へと入って散策したが、こちらもまだまだの咲き具合だった。

登城路を登り本丸跡へと登ると、こちらは多くの観光客で賑わっており、政宗像の近くでは護国神社で式を挙げたのだろうと思われる結婚式の関係者の一団が記念撮影をしていた。

本丸跡は今まで護国神社の境内くらいにしか桜の木は無かったと思っていたが、今回久々に訪れてみた所、政宗像の隣にも桜の木があったことに初めて気づいた。この桜の木が満開になればなかなか絵になりそうなだけに、いずれは再訪して撮ってみたいものである。本丸跡の散策の最後には前述の護国神社の境内で桜を撮ったが、見ごろがまだなことと、日が大分傾いていたことから、残念ながら納得のいくものは撮る事ができなかった。