4月18日桜紀行 丸森編・その3(宮城県丸森町)2010年04月29日 20時37分04秒

金山城本丸石垣と桜
【金山城】

武家屋敷通りを抜け、金山城への登城を開始したが、さっそく米蔵跡の桜が目に飛び込んできた。今思えばこの桜が城址でもっとも綺麗だったような気がする。

金山城は相馬氏の家臣が築いたとされる山城で、伊達氏と相馬氏の伊具合戦後は伊達氏の城となり、中島宗元が城主として置かれたという。その後、中島氏は幕末まで続き、金山の町を治めたという。

米蔵跡から道なりに登るとすぐに埋門跡があり、ここは良く見ると門跡の脇に石積みが残っており、門跡に続けて土塁が残る等、この地方では珍しく門跡がはっきり判る遺構であった。

埋門跡からさらに登ると御不動様があり、そこから登ると主郭部と出丸の間の堀切へと出た。とりあえず出丸に登ってみたが、ここらへんから視界が開けているため、なかなか眺めが良かった。出丸から戻り、堀切を通って奥へ行くと兵具蔵跡があったが、こちらはちょっと草木と雪が邪魔で奥にまで行くことが出来なかった。ただ、構造的には出丸同様に堀切で切り離された郭であった。

再び本道に戻って登ると、本丸下の帯郭へとたどり着くが、何やら倒木というか折れた大きな枝が散乱していて酷い有様となっていた。枝は良く見ると開花した桜の花が着いており、切り口は真新しいものだったため一昨日から昨日にかけての雪でやられてしまったのだろう。

帯郭から本丸にかけてはどうやら桜の木が何本か植えられており、最近植えたような幼木もあったが、どれも花付きは悪く、良く見ないと桜だと判らないようなものもあった。元々花が少ない品種なのか、異常気象による不作なのかは定かではないが、想像していたよりも桜の花は咲いておらず、なんとも寂しい光景となっていた。

山頂の本丸はそこそこ広くて眺めが良く、良く見ると要所に石積みがあり、特に奥の馬場跡との間の石垣は見事なものだった。絵図ではここが本丸の門跡になっているため、帯郭から回り込んでこの石垣の所から登るのが本来のルートなのだろう。

城跡の桜の木はなんとも将来が不安な残念な様子だったが、城跡の遺構はなかなか素晴らしく、それだけでも十分な収穫であった。

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