3月21日木曽路中山道遠征・その10(長野県南木曽町)2010年04月04日 23時26分47秒

上久保の一里塚
【中山道の一里塚】

妻籠城を後にして中山道を北上すると蛇石という岩がある沢に出たが、どうやらここが妻籠城の縄張りの北限だという。たしかに沢を掘として戦えば、中山道を南下してくる敵を抑えられるだろうが、正直沢が小さいためどれほどの効果があるかは不明である。

中山道をさらに北上していくと、道はいくつもの丘と沢を越えて続いているが、道中には石畳があったり、石碑があったりと見るべきものも沢山あって飽きなかったが、なかでも上久保の一里塚はしっかり塚の形が残っているのが良かったが、丘の上にある左右非対称の塚というのがなんとも珍しくて印象的だった。

さらに進むと神戸の集落にたどり着き、ここには木曽義仲ゆかりのかぶと観音と、巴御前ゆかりのふりそでの松という史跡があったが、残念ながらふりそでの松の方は松枯れで朽ちたため、切り倒して観音堂の水舟としたという。現存していれば伝承から樹齢は900年以上はありそうだが、水舟にされた松を見た感じではそれほど年を経ているようには見えなかった。

丘と沢を縫うように続く中山道を抜けると南木曽の街にたどり着いた。一応、街をさらに北上すると三留野の宿場町に着くが、さすがにもう日が山に隠れてきたため今日の散策はここでお開きとすることにした。