3月20日木曽路中山道遠征・その5(長野県木曽町) ― 2010年03月29日 23時09分05秒

【福島城】
代官屋敷を見た後は、大分時間が経ってしまっていたが木曽福島の町の背後に聳える福島城を目指して移動を開始した。
福島城は中世に木曽氏によって築かれた山城で、上之段城を居城としていた木曽氏が詰城として利用した城だという。
山の斜面に民家がならぶ地区を通り、興禅寺の背後の林道から城跡を目指して移動したが、このルートは難はないものの遠回りしているような道で、時間が押していることが少々不安でたまらなかった。
林道の途中の電波塔のあるあたりから城へ登る山道が延びているが、ここには熊用の鳴らし鐘が設置してあり、他では見たことがないだけに新鮮だったが、熊が出た実績でもあるのか少々不安な気持ちにもなった。
山道は比較的歩きやすく、道なりに進んでいったら城の背後の堀切・土橋へと出てしまった。この土橋の場所から帯郭を通って直登した場所が福島城の本丸で、それほど広くはないものの周囲に展開する郭が良く見れてなかなか良かった。
本丸から南にかけて二の丸、三の丸が連郭式に展開しており、各郭間は堀切で切られていてなんとも判りやすい縄張りだったが、想像していたより小さな城で、簡単に散策できてしまったのは少々予想外だった。
夕方に山城に登ったため日が落ちる前に下山できるか不安だったが、意外とあっさりと散策できたため、思いのほか早く山道から林道へ降りることができた。また、帰り道は城山と麓を最短距離で結ぶ神社-電波塔ルートを通ったが、この道は急斜面を人1人がやっと通れる道が斜めに続いているルートで、確かにあっという間に下山できたものの、足を踏み外したら転落しそうな箇所がある地味に大変な道であった。
代官屋敷を見た後は、大分時間が経ってしまっていたが木曽福島の町の背後に聳える福島城を目指して移動を開始した。
福島城は中世に木曽氏によって築かれた山城で、上之段城を居城としていた木曽氏が詰城として利用した城だという。
山の斜面に民家がならぶ地区を通り、興禅寺の背後の林道から城跡を目指して移動したが、このルートは難はないものの遠回りしているような道で、時間が押していることが少々不安でたまらなかった。
林道の途中の電波塔のあるあたりから城へ登る山道が延びているが、ここには熊用の鳴らし鐘が設置してあり、他では見たことがないだけに新鮮だったが、熊が出た実績でもあるのか少々不安な気持ちにもなった。
山道は比較的歩きやすく、道なりに進んでいったら城の背後の堀切・土橋へと出てしまった。この土橋の場所から帯郭を通って直登した場所が福島城の本丸で、それほど広くはないものの周囲に展開する郭が良く見れてなかなか良かった。
本丸から南にかけて二の丸、三の丸が連郭式に展開しており、各郭間は堀切で切られていてなんとも判りやすい縄張りだったが、想像していたより小さな城で、簡単に散策できてしまったのは少々予想外だった。
夕方に山城に登ったため日が落ちる前に下山できるか不安だったが、意外とあっさりと散策できたため、思いのほか早く山道から林道へ降りることができた。また、帰り道は城山と麓を最短距離で結ぶ神社-電波塔ルートを通ったが、この道は急斜面を人1人がやっと通れる道が斜めに続いているルートで、確かにあっという間に下山できたものの、足を踏み外したら転落しそうな箇所がある地味に大変な道であった。
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