5月7日奥州桜と城址の旅第三陣・その2【横田城】(岩手県遠野市)2013年05月09日 21時58分20秒

鍋倉城から街に戻った後は、逆方向の北側の山裾あたりにある阿曾沼氏の居城の横田城を目指して移動した。


水仙の群集
画像は移動途中に一日市のあたりで見た水仙の群集。規則正しく並んでいる水仙もあったので、この付近の民家の方が植えて増やしたものだろうか?余談になるが、一日市は阿曾沼氏時代に城下町の中心があった場所でもある。


横田城への道
横田城は近くまで行くと看板があるので迷うことは無いが、城内への道はちょっとわかり辛いかもしれない。画像は丘の西側を流れる小川の側に立つ案内板。ここから小川と丘の間の道を辿ると、途中に丘に登る階段が現れる。


遠野遺産
丘に登る道の下には以前来た時は無かった「遠野遺産」の表示板が設置されていた。板にも書かれている通り、今回の訪城目的は「彼岸桜」と「山桜」である。


横田城の城内
横田城は山裾の段丘の上にあり、丘に登ってしまえばあとはあまり段差の無い広い空間が広がっている。実際は微妙に雛壇状になっているので、当時はいくつかの郭に分かれていたのかもしれない。画像中央奥にあるのは城跡の中心にある薬師堂。


ヤマザクラとヒガンザクラ
そして、薬師堂の隣に目当ての桜があるのだが、樹勢がもう無いのか、今年の気候の所為かは定かではないが、花がほとんど付いていない状態だった。良く見ると樹の高い場所に花が咲いているのが確認できたので、花の時期が極端に遅いとかの個体差では無さそうだ。ちなみに左がヒガンザクラ、右がヤマザクラで、どちらも樹齢は300年以上の巨木である。左の隅に見える朽ちた木も桜に見え、画面の外側にも桜の木の跡らしきものがあったので、かつては薬師堂を囲むように桜があったのかもしれない。


城内の若い桜の木
ちなみに城内南側の藪の中に咲く比較的若そうな桜は綺麗な花を咲かせていた。ただ、周りが雑木と藪なので花は樹の上の方にだけ集中しており、近くから見ると空の色に解けて上手く映像に残すことが出来なかった。


自生している桜
城跡には明らかに自生と見られる桜があり、殺風景な木々に混じって一本だけ桜の木があるような箇所が見られた。これらの桜はちょうど満開の花を咲かせており、綺麗で逞しくもあった。


横田城空堀
なお、横田城は山裾の段丘にあり、東西に沢があって北側だけが山に続いているが、この部分には大きく抉ったような空堀があり、城は山から分断されていた。画像がその空堀を上から写したもの。余談だが、ここの山側に朽木を利用するタイプの蜂の巣らしきものがあった。


踏鞴場跡の標柱
横田城からさらに山の奥の方へと行くと「山蛍の里 踏鞴製鉄の跡」という標柱があった。どうやらこの付近には製鉄の遺跡があったようだが、下調べはしていなかったために具体的にどこにあるのか判らなかった。


横田城から少し離れた場所にある枝垂桜
横田城跡の桜はガッカリな結果に終わったが、城跡から少し離れた場所には綺麗な桜がいくつか確認できた。画像は城跡より少し西側の段丘上にあった満開の枝垂桜。

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