5月7日奥州桜と城址の旅第三陣・その3【高館】(岩手県遠野市)2013年05月10日 22時26分45秒

横田城の桜の古木を見た後は猿ヶ石川沿いに移動し、旧宮守町の鱒沢へと向かった。目指すは阿曾沼氏家臣の面懸左衛門尉の居館と伝わる高館跡である。ただ、面懸左衛門尉以下輩に横領されたと阿曾沼朝綱の代官の朝兼が訴えて、陸奥国代の南部師行が沙汰を下したという記録からは家臣というより、同じ地頭同士の領地のいざこざにしか見えない。「面懸」も「おもがい」ではなく「つらかけ」と読んでおり、「角懸(つのかけ)」の誤記という説もある。角懸氏は遠野保の隣の江刺郡角懸郷の土豪であり、遠野保の阿曾沼氏と領地の争いがあってもおかしくないし、こっちの方が先の裁定の話の筋が通る。


高館八幡神社
高館跡の丘の上には今は八幡神社があり、境内は比較的広く、確かに館跡と言われると納得できなくもない。しかし、先に言ったように要害には全く見えない。画像は車道から境内に上る階段だが、この車道は沢伝いから急に逸れて丘を削って伸びており、もしかすると堀のあった場所に道を通したのかもしれないが、想像の域を出ない。


八幡神社の桜
神社の境内には桜の木が数本植えられており、小ぶりだが綺麗な桜の花を咲かせていた。最初見た時は日影で咲きそろっていないソメイヨシノかと思ったが、よくよく考えて見るとこれはエドヒガンの若木だったのかもしれない。


高館八幡神社のエドヒガン
・・・というのも、この境内には樹齢700年と伝わるエドヒガンの古木があるからで、今回ここを訪れたのもこの桜の木を見るのが目的だったのである。ただ、肝心の桜はあまり咲いている花が見られず、ここも横田城の桜の二の舞に終わった。なお、面懸氏お手植の桜との伝説だが、1334年の争乱の内容から見てその可能性は低い気がする。


堀切跡?
高館の背後はそのまま台地に続いているため、これも全く要害らしくない要因の一つだが、周囲を歩き回って見てみると、画像の中心やや奥あたりに台地から高館のある丘の末端を切り離すような横堀の跡があったような形跡が見られた。