4月28日奥州桜と城址の旅第二陣・その4【安倍館関係】(岩手県奥州市)2013年05月03日 20時12分00秒

中尊寺からさらに北上して川を渡ると、奥州市の衣川へと入る。ここは藤原氏が平泉に都を築くより昔に安倍氏の本拠地があった場所で、安倍氏に纏わる遺跡が密集している。

接待館跡(下から)
川に沿って上流に向かうと、川沿いに接待館跡が見えてくる。ここは安倍氏の館跡とされ、藤原氏の時代には基衡の妻の館となり、接待や儀式の場となったため、接待館と呼称されている。一説には源義経が暮らした藤原基成の衣川館はここだとも言われている。発掘では柳之御所に匹敵する遺構が現れたようだが、現状は埋め戻されているので、堀跡と民家の裏に残る土塁しか確認できない。


接待館跡(堤防上から)
堤防の上から接待館跡を見た様子。緑の草が生えている場所が館跡で、土色の低くなっている箇所が旧河川跡。恐らく長い年月で流路が変わり館跡も川で削られたのではないだろうか。ちなみに画面中央奥の木が生えている箇所に土塁が残っていた。


並木屋敷
接待館跡から西に行くと並木屋敷跡がある。当時は屋敷の回りに桜並木があったので並木屋敷の名の由来だという。ここは安倍頼時の時代の政庁跡とされ、安倍氏滅亡後は清原氏の館となり衣川柵と呼ばれたという。並木屋敷の名の由来を聞いて少し桜を期待していたが、画像の通り跡地は畑と民家があるだけで、特に見所になるようなものは見当たらなかった。


琵琶館跡
並木屋敷跡の西の段丘端に行くと琵琶館跡の標柱が立っていた。別名の成道館の名が示す通り、ここは安倍貞任の兄の成道の居館跡だという。ただ、実際の館跡はこの標柱の場所よりも南側にあり、地図で見ると川がちょうど蛇行して半島のようになっている。ただ、そこに行くには民家のある場所を抜ける必要があるようなので、そこまでは確認していない。


小松館
琵琶館跡標柱からさらに西に行って川を渡った先が小松館跡で、安倍貞任の叔父の良照の居館である。ここは川に挟まれた段丘の南端にあり、現在は畑となっている。


小松館堀跡
小松館跡西側は東北自動車道が通っており、その関係で西側の堀の役目を担っていた川は埋め立てられている。ただ、埋められたというよりは暗渠になっているのかもしれない。


衣川関
小松館跡から高速道路の下を抜けて西側に抜け、そこから高速道路と崖に挟まれた狭い道を南下すると衣川関跡に出る。確かに崖と川に挟まれた場所を街道が通っており、しかも手前にも川があって橋を渡る必要があるならここは関門としては最適に思える。


舘跡
衣川関跡から再び道を戻って北上すると左手に民家や畑のある段丘が見えてくるが、この丘の上に安倍館跡がある。しかし、説明板には単純に「舘跡」とだけしか名称は振られていない。ここは安倍頼時・貞任の私邸の跡だという。一応、説明板のある場所に土塁らしきものが見られるが、周囲は畑や民家で道路によって削られているようにも見えるので定かではない。


北館堀跡
安倍舘跡から再び高速道路に沿って北上し、途中で再び高速道路の下を抜けて東に向かうと、そこも安倍氏の館跡の一つである北舘の跡となる。画像の北舘桜の案内板がある場所は北舘の北端にあたり、道路の場所が堀跡でもある。


北館跡
館跡の中を高速道路が通っている上に東側には川が流れているため、この場所にまで来るのは意外と面倒くさい。北舘跡のど真ん中には今日一番見たかった「北舘の桜」が聳えており、周囲にはカメラマンも沢山訪れていた。


北舘の桜
桜は樹齢700年の巨木だが、花は小ぶりで品種はエドヒガンだという。安倍氏が植えたかと思いきや、旅の僧の南蘇坊が14世紀頃に植えたものらしい。正直咲具合が心配だったが、花はちょうど満開で綺麗なものだった。


泉ヶ城
今日は「北舘の桜」を見るのが目的だったので、一通りいろんな角度から桜を撮った後は平泉へと戻ることにしたが、帰りに1箇所拠り忘れていた場所があったので立ち寄った。目的地は琵琶舘から川を挟んで東隣にある泉ヶ城跡で、安倍宗任家臣の藤原業近の居城跡だったため、業近柵とも呼称される。ここは地図で見ると360度が川に囲まれて陸地から分断されており、明らかに人為的に作られた地形だと判る。実際にここに行くには画像手前の橋を渡るしか道が無い。道は砂利道で舗装されておらず、奥に民家が見えるためここは私道なのかもしれない。恐らく画像奥の高台が城の中枢だろうが、結局奥まで行かなかったため確認していない。