12月1日奥羽古城散策更新2010年12月01日 21時04分49秒

奥羽古城散策
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今回の更新では出羽国比内郡の領主の比内浅利氏を追加。浅利氏は甲斐源氏の名門の一族で、甲斐国浅利郷を本貫地としていたが、出羽国比内郡の領主になった経緯には謎が多い。比較的歴史が明確な戦国時代以降でも安東氏と南部氏の争いに巻き込まれ、安東氏に謀殺されるなどなかなか悲惨で不遇な一族です。

11月21日奥会津晩秋の旅・その9(福島県南会津町)2010年12月01日 22時47分41秒

東館跡の石碑
【東館】

駒寄城から下山した後は昨日確認していなかった東館跡を見に向かった。昨日確認しなかったのは事前に遺構が残っていないと聞いていたためで、実際西館のような土塁などの明確な遺構は確認できなかった。よくみると周囲に地形の段差が見られるので、国道を挟んで高くなっている部分が恐らく館跡になるのだろう。なお、東館跡の石碑はガソリンスタンドと民家の間あたりにあり、そこには土塁跡にも見えなくない生垣がある。

11月21日奥会津晩秋の旅・その10(福島県南会津町)2010年12月02日 22時25分04秒

館跡周辺は国道沿いに民家が点在し耕地が広がる
【小沼館?】

東館跡を確認した後は古町の北部にあった小沼館を探しに向かったが、結果から言うと館跡と思しきものは見当たらなかった。「まほろん」の遺跡データベースには小沼柵跡の名称で一応場所の記載があるが、そもそも発掘調査はしていないので場所が正しいのかどうかも判らない。ただ、周囲の地形を見ると国道401号は河岸段丘の上を通っており、道路の西側は2~5mほどの落差の段丘崖となっている。このため、昨日巡った中山城や馬場館の例を参考にすると、この段丘の端に小沼館はあっただろうと思われる。なお、小沼館は河原田氏家臣芳賀大炊の居館跡である。

11月21日奥会津晩秋の旅・その11(福島県南会津町)2010年12月03日 19時54分00秒

愛宕山の麓の国道と唐倉山の分岐点
【木伏城】

小沼館跡付近からさらに北上すると木伏の集落へと入るが、この木伏の集落の背後(南東部)に聳える愛宕山が木伏城となる。場所も判っているし、駒寄城より100mも低いので登れるだろうと思って山道があるかどうか探したが、山の麓には山への立ち入りを禁止する看板が・・・。まず国道から唐倉山へ入る車道に1つ、さらに脇道の奥に3つほど看板があり、書いていることは微妙に異なるが、いずれも一般人の入山を禁止する内容であった。いわゆる「止め山(留め山)」というものだろう。

・・・と言うわけで無用のトラブルを避けるため、残念ではあるが木伏城に登ることは諦めることにした。

12月4日奥羽古城散策更新2010年12月04日 21時56分24秒

奥羽古城散策
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今回の更新では先月に訪れた黒石陣屋を追加。陣屋の遺構はほとんど見られず、馬場跡付近が御幸公園となっているが、この公園はどちらかというと運動場に近いのではないかと思うほど広い空き地がある。城跡としての見所は蝦夷館との間の堀くらいだが、公園横の黒石稲荷神社には立派な銀杏の木があり、これがなかなか見事だった。