11月21日奥会津晩秋の旅・その7(福島県南会津町)2010年11月29日 23時43分19秒

駒寄城の詰ノ城の土塁に囲まれた主郭
【駒寄城(詰ノ城)】

駒寄城の居館跡を散策した後は、居館跡から山奥へ向かって続く山道を進むことにした。山道は沢沿いに山の上に向かってのびていたが、正直な所どこに続いているかは判らなかった。とりあえず、山の上まで登れれば後は何とかなると思い進んだが、尾根が見えてくるに従って道は急になり、最後の昇りは少々大変だった。それでも山道のおかげで予想していたよりもあっさりと詰ノ城まで登れたのが意外だった。

山道は詰ノ城の二重堀切の部分へ続いており、登りきると同時に遺構が目の前に飛び込んできた。山を登った達成感もあって、その光景には思わず感動してしまった。堀切は尾根に沿って山頂に向けて大きく分けて2箇所造られていたが、郭寄りの堀切は中に土居を置いた二重堀のようだった。尾根の先端部の詰ノ城の主郭はコの字型の土塁に囲まれており、先端に行くに従って低く雛壇状になっていた。あまり段差が無いため腰郭というよりもこれら全てで一つの郭のような感じだった。この郭は尾根続きの南方以外は全て急斜面の絶壁で、確かに攻める方にとっては大変な場所だが、せいぜい数十人立て篭もるのがやっとの場所のため、河原田氏が伊達軍の侵攻に対してこの城を放棄したのがよく判る構造だった。久川城であれば千人は立て篭もることが可能であり、この差はかなり大きい。