11月20日奥会津晩秋の旅・その4(福島県南会津町)2010年11月25日 23時00分25秒

久川城の空堀(手前が堀切、傾斜部分が竪堀、奥が横堀)
【久川城】

中山城を散策後はいよいよ本日のメインの目的地である久川城へと向かうことにした。中山城からはすぐ側の車道を北進すると久川城南部の堀切跡を通って城の裏側へと出られた。

久川城は河原田盛次が伊達軍の伊南侵攻に対抗するために築いた城で、この時に川の右岸は戦場になることを見越して放棄し、新たに久川城の南部に城下町を移した。この対策が功を奏して伊達軍の攻撃に耐えることができたが、河原田氏は結局豊臣秀吉に所領を没収されて、伊南の領主の歴史に幕を閉じることになった。

南部から城内へと入るとさっそく土塁やら横堀やらが目に入ってくるが、南部の広い郭の縁には昇り土塁が造られているのがなかなか興味深かった。南部の郭のすぐ北には三の丸があるが、とりあえず一度西の尾根に上ってみることにした。

この西側の尾根は山の削り残しを利用して造られた巨大な土塁のようになっており、西側は断崖絶壁の見事な自然の塁壁だった。この塁壁の最高所が城内で最も高い場所で、たぶん物見も兼ねていたと思われるが、今は木々が邪魔であまり視界はよくなかった。

塁壁から降りた後は城内の中心を目指したが、思いのほか城内は広く造られており、かなりの人数や建物を収容できるような造りとなっていた。さらに本丸は大きな土塁で囲まれており、その外側には空堀が掘られていた。一説には水堀だったとも言われているが、今は空堀となっている。この空堀もまた見事で、前述の巨大塁壁まで続いており、横堀と竪堀、堀切が連結する徹底した造りの見事なものだった。これは本丸だけではなく、本丸と二の丸、二の丸と三の丸の間にも同様の堀が造られていた。なお、本丸内は空き地だが南西部が少し高くなっており、そこに稲荷神社が祀られていた。

丘陵上を散策した後は南北にある登城路を登ったり降りたりしたが、南麓には角馬出がハッキリ残っていてなかなか見事なものだった。城の説明板や城址碑等は北麓の方にあり、北の登城口の目の前には資料館もあった。ただ、残念なことに資料館は11月以降の冬季は休館となっており、展示を見ることは適わなかった。