3月21日木曽路中山道遠征・その9(長野県南木曽町)2010年04月03日 23時44分46秒

妻籠城の堀切
【妻籠城】

妻籠宿を散策した後は、そのまま中山道沿いに北上し、宿場町の北に聳える妻籠城へと向かった。

妻籠城は木曽氏の支城のひとつで、1584年の小牧長久手の戦いで豊臣秀吉と徳川家康が対立した際には、ここにも馬籠城同様に木曽氏家臣の山村良勝が置かれ、信濃衆の攻撃に耐え凌いだという。

妻籠宿を出て中山道沿いに進むとちょうど西へ延びる山を切り通したような場所に出るが、この場所こそが妻籠城跡で、西の山の山頂に本丸があり、東の山裾には街道を塞ぐための土塁が築かれていたという。

城の説明板は街道沿いにあり、その場所から西の山を目指して登ったが、絵図に二の郭跡と書かれている場所は郭と呼ぶには狭く、また削平部分よりも自然地形のような箇所が多かった。

二の郭跡と本城部分の間にはまるで谷のような堀切?があり、土橋一本で繋がっている様子はなかなか圧巻だったが、もともと自然地形なのか人工的に削ったのかは良くわからなかった。

土橋を渡って本城部分を登っていくと堀切に出るが、堀切より北側の郭にはロープが張られて立ち入り禁止のような感じになっていた。どうやら松が枯れて倒木の危険があるためらしい。

ここからさらに登っていくと、再び堀切と土橋があり、周囲には腰郭も多段に展開してなかなか山城らしいハッキリした防御遺構が見られて面白かったが、ここにもまたロープが張られているため、まるで一本道の順路のようであった。

山の頂上の本郭にも郭の周囲に土塁が残っていて良かったが、ここからは眼下に妻籠宿が見渡せるのが何よりも素晴らしかった。なお、本丸へ登る道は北ルートと南ルートがあるが、南ルートも何か危険があるのかロープが張られて通行止めのようになっていた。

結局、素直に元来た道から下山したが、その後に探した東の山の斜面の土塁は探してみたものの良くわからなかった。

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