9月23日慶長出羽合戦遠征・その3(山形県米沢市)2009年09月29日 23時28分03秒

外側から見た土塁跡(護岸部分が断面)
【米沢城】(三の丸跡東部・西條天満神社)

午後の少し遅い昼食を食べた後は、相変わらずの雨模様だったが、米沢城の三の丸跡の散策に出かけた。三の丸跡といっても今では全て市街地になっているが、市の記録を見ると意外と遺構は部分的に残っているようだった。

まず、始めに訪れたのは三の丸跡東部の土塁跡で、土塁の上には西條天満神社があるので、街中でも特に探すのには困らなかった。門東町の細い脇道を入った先には小さな丘があり、その上に神社があったが、神社の縁起と米沢市の文献を見る限りだと三の丸の土塁が造られた時からその上に神社があったようで、逆に言えば神社があったからここだけ土塁の遺構が生き残ることができたとも言える。

西條天満神社は上杉氏家臣の西條氏が菅原道真と祖先の西條倫房を祀ったもので、西條氏は元々は信州の西條に住んでいたが、上杉氏の移封に従い米沢にやってきたのだという。なお、西條倫房は後醍醐天皇の隠岐の島脱出を手助けした人物の一人で、その時に天皇から褒美として菅原道真の掛け軸を賜ったのが天満神社勧請の理由ともなっている。

神社の土台となっている土塁は予想よりは大きめだったが、さすがに市街地の中の上に木々も茂っているため上からの展望は良くなかった。神社横の駐車場側から見ると土塁の形がよく見え、ちょうど土塁の断面部分だけが護岸されているため、なんとも判りやすい土塁遺構だった。