9月10日会津遠征(中世編)・その8(福島県喜多方市) ― 2009年09月19日 23時26分00秒
【金川館】
神指城を訪城したことで今回の旅の目的は達成したため、あとは前回の会津旅行と同様に喜多方へと移動して喜多方ラーメン店の開拓に勤しんだ。その後、喜多方から湯野上温泉への帰途の途中で少し時間があったため、喜多方市の塩川付近の館跡へと立ち寄ってみた。
まず、立ち寄ったのが金川館で、誤字なのか資料によっては築城者が石川氏と石井氏と分かれており、良く判らないがとにかく頭に石が着く土豪の居館跡である。芦名氏の家臣の館だったため、1589年の伊達政宗の会津侵攻ではこの館も戦場となった。
館跡は金川の集落の中で道が南でカーブする部分にあり、館跡そのものが現在は個人宅となっていた。それでも、外を半周して見てみた限りでは土塁が良く残っており、土塁の外側には現在水路があって堀の名残が伺え、さらに土塁の西側には虎口跡が良く残っていた。おかげで館跡は鎌倉時代からの典型的な単郭方形居館ということが良く判った。
神指城を訪城したことで今回の旅の目的は達成したため、あとは前回の会津旅行と同様に喜多方へと移動して喜多方ラーメン店の開拓に勤しんだ。その後、喜多方から湯野上温泉への帰途の途中で少し時間があったため、喜多方市の塩川付近の館跡へと立ち寄ってみた。
まず、立ち寄ったのが金川館で、誤字なのか資料によっては築城者が石川氏と石井氏と分かれており、良く判らないがとにかく頭に石が着く土豪の居館跡である。芦名氏の家臣の館だったため、1589年の伊達政宗の会津侵攻ではこの館も戦場となった。
館跡は金川の集落の中で道が南でカーブする部分にあり、館跡そのものが現在は個人宅となっていた。それでも、外を半周して見てみた限りでは土塁が良く残っており、土塁の外側には現在水路があって堀の名残が伺え、さらに土塁の西側には虎口跡が良く残っていた。おかげで館跡は鎌倉時代からの典型的な単郭方形居館ということが良く判った。