7月12日お台場散策その2(東京都港区) ― 2009年07月14日 23時01分52秒
【品川第三台場】
潮風公園でガンダム立像を見た後は、せっかくなので「お台場」の地名の元となった幕末の城塞を散策しに向った。
「お台場」は幕末に幕府が築いた「品川台場」の通称が元となっており、計画では江戸城が船舶から砲撃されないように海上に11箇所(※陸上の御殿山下台場も入れると12箇所)の台場を築く予定だったという。結局、第一台場から第六台場まで完成して、第七台場の築造中に資金難から計画は打ち切りとなった。その後、時代が立つにつれて台場の価値は無くなり、大正から昭和にかけて台場は撤去または埋め立てられて消失し、第三台場と第六台場だけが残ったという。
第三台場は今は陸続きとなって公園となっているので、潮風公園から歩いて向ったが、かつては第三台場が江戸を守るために睨みを利かせていた海だった場所に今ではフジテレビなどのビルが建つ陸地があるのだから、なんとも妙な感じである。
台場はひし形に近い形をしており、当時は北側の船着場が唯一の入り口だったが、陸続きになった今は東側の台場の外から土塁に上がるように散策路が設けられている。この土塁が想像していたよりも高くて厚く、また内部も思いのほか広いため、台場の内部に下りてみるとなんだか野球場にいるような雰囲気がある。まぁ、実際は地面は凸凹で草が刈られずに生えており、地味に湿地状になっている場所もあってとても運動ができるような場所じゃありませんが(苦笑)
台場内部の中央には陣屋跡を表現したコンクリートの柱?が並ぶ場所があり、木々が茂っている場所には仕切り土塁もしっかり残っていた。また、外周土塁の内部には弾薬庫とされる穴があり、小さな土塁で囲まれた竈跡とされる区画もあって台場の構造がよく判る史跡なのはなんとも良かった。
台場の外周土塁の上からの眺めもなかなかのもので、遠目には潮風公園のガンダムも確認することができたのは意外だった。また、陸繋島のような場所なので人はあまり居ないかと思っていたが、思いのほか散歩している人は多く、ベンチで休んでいる人や芝生に寝転がっている人も多かった。
潮風公園でガンダム立像を見た後は、せっかくなので「お台場」の地名の元となった幕末の城塞を散策しに向った。
「お台場」は幕末に幕府が築いた「品川台場」の通称が元となっており、計画では江戸城が船舶から砲撃されないように海上に11箇所(※陸上の御殿山下台場も入れると12箇所)の台場を築く予定だったという。結局、第一台場から第六台場まで完成して、第七台場の築造中に資金難から計画は打ち切りとなった。その後、時代が立つにつれて台場の価値は無くなり、大正から昭和にかけて台場は撤去または埋め立てられて消失し、第三台場と第六台場だけが残ったという。
第三台場は今は陸続きとなって公園となっているので、潮風公園から歩いて向ったが、かつては第三台場が江戸を守るために睨みを利かせていた海だった場所に今ではフジテレビなどのビルが建つ陸地があるのだから、なんとも妙な感じである。
台場はひし形に近い形をしており、当時は北側の船着場が唯一の入り口だったが、陸続きになった今は東側の台場の外から土塁に上がるように散策路が設けられている。この土塁が想像していたよりも高くて厚く、また内部も思いのほか広いため、台場の内部に下りてみるとなんだか野球場にいるような雰囲気がある。まぁ、実際は地面は凸凹で草が刈られずに生えており、地味に湿地状になっている場所もあってとても運動ができるような場所じゃありませんが(苦笑)
台場内部の中央には陣屋跡を表現したコンクリートの柱?が並ぶ場所があり、木々が茂っている場所には仕切り土塁もしっかり残っていた。また、外周土塁の内部には弾薬庫とされる穴があり、小さな土塁で囲まれた竈跡とされる区画もあって台場の構造がよく判る史跡なのはなんとも良かった。
台場の外周土塁の上からの眺めもなかなかのもので、遠目には潮風公園のガンダムも確認することができたのは意外だった。また、陸繋島のような場所なので人はあまり居ないかと思っていたが、思いのほか散歩している人は多く、ベンチで休んでいる人や芝生に寝転がっている人も多かった。
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