11月2日岩手南部三連休遠征・二日目編(岩手県花巻市・金ヶ崎町)2008年11月06日 22時58分04秒

大庭郭のすぐ外にある旧大沼家の武家屋敷
連休二日目は花巻の山奥の新鉛温泉から街へと降り、花巻の史跡散策の予定だったが、困ったことに空の機嫌が悪く、雨模様となってしまった。

雨の中、とりあえず最初に向ったのは稗貫氏の鳥谷ヶ崎城築城前の居城の十八ヶ城跡で、花巻市街北部の瀬川沿いの本館地区である。資料によれば堀しか遺構が残っていないようだが、その堀がなかなか複雑らしいのでそれが目当てでもあった。

本館地区に着いてまず「本館近隣公園」に行ってみる。地図的にはこの公園の近くに南側の外堀があるはずだが、どうやら埋まっているらしく見当たらなかった。公園から見て北東方向には小さな林があり、そこには窪地が見えたが、私有地立入禁止の文字が見えたため確認まではできなかった。とりあえず、住宅地を通る道を迂回して香明寺と本館病院のある道に出るとそこから、ニッセイの工場との間に大きな堀が確認できた。ただ、草木が深かったため、要図にあるような多重堀なのかまでは確認できなかった。住宅地と工場の周辺を雨の中歩き回った結果、遺構として確認できたのは東側の外堀だけで、内堀は工場などの建設で、外堀の南と西は宅地化でほぼ消滅しているのが判っただけだった。

十八ヶ城跡を散策した後はすっかり足もビショビショになり、雨のおかげで気力の消費も激しかったため、もういっそのこと温泉宿に戻ろうかと考えたが、それもなんだか悔しいため、今度は降水確率が比較的低い岩手県南部を目指して移動することにした。

完全なアドリブ進行ではあったが、北上市を越えたところで空が晴れてきたため、隣の金ヶ崎町の伊達氏の要害である金ヶ崎城を見に向った。街に入ってさっそく金ヶ崎神社へと向かい、そこから諏訪公園へと入った。途中で空掘のようなものがあったが、一応は城外にあたるため遺構かどうかは判らなかった。諏訪公園南部には大きな沢があり、この沢が城の外堀だそうで、意外と急崖で深く、なかなかの要害だった。

沢を渡った先が二の丸跡で、現在は公園なのか荒地なのかよく判らない状態になっており、南と東側には民家があってどこまでが私有地なのかすら判断できなかった。

二の丸跡から本丸跡へと入ると、ここは完全に住宅地になっており、確認の余地は無かった。本丸跡を抜けて大庭の郭に出ると、道の脇に空掘跡が確認でき、さらに北側には東館の郭と堀と土橋がほぼ完全に確認できた。観音館は車道が貫通し、住宅地にもなっていたため確認の余地は無かったが、大庭郭との間の堀跡は確認できた。さらに大庭郭の外側には堀の跡がしっかり残っており、今は通路として使われていた。この通路を進むと途中に大沼家の武家屋敷があり、これがなかなかの雰囲気でなんともいい感じだった。ただし、公開中の建物内部は煙で蒸している最中だったため、非常に煙たかった(苦笑)

大沼家を見た後は武家屋敷(大沼家以外は非公開)が多く残る城下町を散策したが、やはり武家屋敷と言っても現在も人が住んでいるため屋根が近代的になっていたり改築されている所が多く、昔の雰囲気を出しているのは大沼家の屋敷だけだった。

武家屋敷を散策した後は泰養寺へと向った。この寺はちょうど台地から切り離されるように堀で切られているが、ここはかつて城跡だったらしく、寺の入り口近くには舟形館跡の説明板が設置されていた。ただ、この説明板の周囲には草が多い茂り、文字が隠れて見づらかったのだけは困ったものだった。館跡としての遺構は周囲の堀跡くらいしか確認できなかったが、寺の楼門はなかなか立派なものだった。

金ヶ崎を一通り散策した後は花巻へと舞い戻り、10年?ぶりに花巻城を訪れてみたが、円城寺坂周辺が公園のように整備されているのには少し驚いた。住宅地となっている三の丸から学校となっている二の丸、そして公園となっている本丸へと移動したが、ここらへんは10年前とあまり変わっていなかった。強いて言えば本丸西御門前の看板が新しくなっていたくらいである。

花巻城を散策した後はすっかり暗くなっていたため、温泉宿へと戻ることにした。結局、この日は雨のおかげでろくに散策できなかたのが悔やまれる。

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