伊那路散策・後編(長野県)2007年04月19日 00時53分44秒

桜と高遠城楼門
土曜日の雨天とは打って変わって晴れた日曜日。
朝から伊那市の東方の高遠へと出かけた。もちろん目的は高遠城跡の天下一と称される桜を見るためである。

高遠城は藤沢川と三峰川に挟まれた丘陵の上にある城であり、大河ドラマ風林火山でも武田の諏訪攻めに関わる重要人物として登場する高遠頼継の居城として登場する。自分が訪れた時は時間が早かったこともあって、町中の店は閉まっていて静かな雰囲気だったが、城跡に近づくにつれて行き交う車や人々で賑やかになってきた。

家臣が登城に使っていた自分坂を登り、大手門跡へと到着するとさっそく石垣を見ることができたが、説明板を見るとどうやら大手門の石垣は後世の人間によってかなり改変されているらしく、当時の位置や姿を留めているものは少ないという。大手門跡から少し進むと左手に三の丸跡が見えてくる。三の丸は西側が低くなっているため、郭内は弾状になっているが、大手門跡に近い西端には当時の楼門が残されている。ただ、説明を見たところ、この楼門は明治まで城内にあったらしいが、廃城後移築された際に改造されて小さくなってしまったそうである。この楼門を潜った先は桜が立ち並ぶ広場になっているが、残念ながらここの桜は3分咲き程度でまだ蕾が多い状態だった。段状の三の丸を登ると露店が立ち並んでおり、更に東側の上段は駐車場となっていた。

三の丸から南西側も車道を挟んで広い駐車場となっているが、城の縄張図を見る限り、ここは三の丸と二の丸の一部、そして勘助曲輪を丸ごと潰して削平して造られた場所であることがよくわかる。おかげで二の丸の断面がまるで切岸のようになっているのがなんとも痛々しい。その二の丸断面を登って二の丸へと入るが、二の丸も三の丸同様に西から東にかけて段状の郭になっているようである。二の丸もほぼ全域が桜の木で覆われているが、やはり蕾が目立つ3分~5分咲き程度で、訪れる時期が早かった感じが否めない。二の丸の北東隅には高遠閣と呼ばれる建物があり、城とは関連無いものの、昭和初期に造られた会館で今では文化財となっている。二の丸馬場と呼ばれていた東側の一帯には露店が立ち並び、花見客もここら辺でシートを広げたりして寛いでいた。

二の丸から橋を渡ると本丸で、この橋の部分が良く雑誌などに出てる場所であるが、桜の蕾が多いせいでイマイチ迫力が無い。そして、今までずっと高遠城の城門だと思っていた橋の部分の門が宿場の問屋町門を昭和の頃に城へ移築した物だと判ってちょっとショックを受けたり・・・。本丸内部の桜も蕾が多くて残念な感じだったが、古木に若木が巻きついて成長した桜の木が多く、その異様な光景はちょっと衝撃的だった。本丸の南側には明治に建てられた太鼓櫓があるが、中に太鼓は無く、今はちょっとした展望台扱いになっている。

本丸より南へ渡ると南郭があり、さらに南には法憧院郭があるが、ここら辺から西側への眺めが素晴らしく、青空のおかげで駒ケ岳が雲の上に見え、絶景であった。法憧院郭から城の外に出ると、美術館や露店が立ち並ぶ区画に出るが、ここの外堀沿いの桜は南側で日当たりが良いせいかほぼ満開に近い状態で素晴らしかった。

美術館脇の斜面を下った所には歴史博物館もあり、ここでは高遠城の模型も見れたので、現状との違いがハッキリ判ってちょっとスッキリした。なお、美術館の方には城を模したような模擬櫓があり、これが南側との桜と合うものだからなんとも言えない複雑な気分であった。

博物館を見た後は大きく三の丸を回りながら散策したが、さすがに時間が昼を過ぎていたため、朝と違って車と人が数倍にも膨れ上がっており、なんとも言えない混雑ぶりになっていた。恐らく満開の高遠城が拝めるのは来週だろうが、これよりも混みあうことを想像すると、ゆっくり花見をするような気分になれなさそうでならない。

高遠を一通り見て周った後は再び伊那市内へと戻り、今度は春日城跡の桜を見に向かった。春日城は平氏の末裔の春日氏(伊那部氏)が築いた台地の上の平山城であり、城より低い台地の部分にはかつての城下町で、後に宿場町となった伊那部宿がある。春日城は沢に挟まれた台地の端に堀で区切って本丸、二の丸、三の丸を造ったもので、三の丸より西側を除いた部分には空掘や土塁の跡がハッキリ残っていて良い感じである。

本丸、二の丸には桜が咲いており、ちょうど満開に近い状態で素晴らしかったが、本丸から眺める城下や遠くの南アルプスの景色も晴天の甲斐あって素晴らしかった。三の丸には子供達が遊ぶ遊具が設置してあり、都会の公園でも見られないくらいの子供や親子連れで賑わっていたのにはちょっと驚いた。三の丸より西側は遺構がほとんど見られない状態で、文化会館などが建っている。

春日城を一通り見て周った後は、帰還予定まで時間があったので、近くの小黒城を見に向かった。小黒城については全く事前知識は得てなく、伊那部宿の案内図に表示されていたからという理由で行くことにした城跡だったので、あまり期待はしていなかった。だが、現地に着いてみると期待を裏切る形で素晴らしい遺構が残っていた。

小黒城は台地の端に空掘で郭を造った春日城と似たような縄張りの城だったが、春日城とは違い、主郭と思われる方形の郭の四方にはっきりと土塁が残っていたのに驚かされた。さらにその外側には空掘が巡り、外郭があっただろう場所は今は住宅地となって遺構は見られないが、そこから南側の郭には社があり、なんとも城跡らしい雰囲気になっている。

小黒城を散策した後は、伊那を発ち、横浜へと帰途に着いた。

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