10月14日三連休道南函館江差の旅・ラスト【夷王山など】(北海道上ノ国町)2013年10月26日 22時28分08秒

勝山館搦手口から出てそのまま山側へ進むと墓所の跡となるが、遺跡の図を見る限りでは勝山館の背後はあらゆる時代の墓の跡があり、霊的加護をもって城の背後を守るような縄張りの考えで勝山館が築かれたのではとも思える。


勝山館ガイダンス施設
墓所付近からガイダンス施設行きの看板に従って小道を登ると勝山館ガイダンス施設へと辿り着いた。内部はいわゆる資料館で、この周辺の墓所の発掘調査結果や勝山館関連の展示があり、勝山館の全体像のジオラマはなかなか参考になった。あと、発掘調査結果から当時の勝山館内部でアイヌが生活していたのが判明したとあり、もしかすると武田信広の家臣の中にも普通にアイヌが居たのではないかというのはなかなか興味深い内容だった。


勝山館から見た夷王山
勝山館跡から沢を挟んで隣には夷王山が聳えており、館跡散策中もふと山頂の鳥居が視界に入るため気になっていたが、実際にここは城の守護神的な特別な山で、武田信広の没後に霊を祀った場所であるという。"夷王"というのは要するに蝦夷地(現在の北海道)の主という意味で、後に蝦夷地唯一の藩である松前藩の祖となった武田信広の事を指しているのだという。


夷王山からの景色
夷王山は草地と低木に覆われているため視界が良好で、山頂からの景色は360度パノラマの絶景であった。画像だと判りづらいが、中心付近の森の中に勝山館跡がある。画像奥に見えるのが上ノ国の街。なお、画面外にはなるが、前日に訪れた江差の街や鴎島もここからハッキリ見ることができた。


夷王山の頂の神社
山頂の夷王山神社は風雪避けの分厚い土塁で囲まれており、まるで穴の中に埋まっているような感じだった。特に説明板などは無かったが武田信広を祀っているそうなので氏神の八幡神社と同じ様式だろうと思う。


上之國八幡神社
その八幡神社(上ノ国八幡宮)は現在は館跡の麓に鎮座しており、明治の頃にここへと移されたとある。画像に見える拝殿のさらに奥にある本殿は1699年に造られたことが判明しており、文化財にも指定されている。つまり、勝山館跡が廃城になった後も神社は館跡に祭られており、江戸時代の中頃には本殿が建て替えられたのだろう。その後、明治になって現在地に移されて新たに拝殿が建てられたということになる。


檜山奉行所跡
なお、遺跡図を見ると神社脇の丘の上に檜山奉行所があったことがわかる。奉行所は松前藩の役所で、檜山西郡の行政の中心だったようだが、江戸時代の中頃に江差が発展したため、ここから江差へと奉行所が移されている。丘の上には神社裏から登れそうだったが、あまり収穫は無さそうだったので確認はしていない。

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