4月13日奥州桜と城址の旅・その2【梁川城】(福島県伊達市)2013年04月16日 22時32分13秒

角田市を出た後は南下して福島県へと入り伊達市の梁川へと向かった。目的地は梁川城址と、桜の名所の「やながわ希望の森公園」の2箇所である。


SL線路沿いの桜
阿武隈急行の「やながわ希望の森公園駅」から公園までは実際はかなり離れており、この区間はミニSLの鉄道路線によって結ばれている。公園に行きたいのは山々だったが、思った以上に時間がかかりそうだったため、今回は公園は諦めることにした。画像はSL路線沿いの満開の桜並木。


やながわ希望の森公園(遠景)
画像は駅の南にある丘の上から「やながわ希望の森公園」方面を見た景色。中央奥の山が公園で、遠目にはまだ桜が7分咲き程度に見える。


お林の里
駅南の丘の上には江戸時代の民家を移築した「お林の里」があり、養蚕農家の家などを見ることが出来たが、建物群としては少し物足りない感じがした。


お林の里の展望台の桜
「お林の里」の側には展望台があり、ここの周辺の桜もほぼ満開で綺麗だった。


お林の里の展望台からの景色
展望台から梁川の街が一望でき、眺めはなかなか良かった。画像中央の麓の大きな建物が見えている付近が梁川城の跡。


梁川城土塁
梁川城は丘と地続きになっているため、南側には大きな堀が設けられていたが、現在は学校の敷地になって大部分が埋められてしまっている。画像は二の丸跡にある梁川高校の敷地に残る土塁で、土塁の外側に堀の跡がわずかに残っていた。なお、堀の一部には阿武隈急行の線路が通っていた。


梁川城浅間神社
城跡の中心部は学校が密集しているが、本丸の付近には築城時に伊達氏が勧請した浅間神社が残されていた。ただ、当時は浅間神社は本丸の内側を向いていたが、廃城後に学校が出来ると向きが変えられ、参道は本丸の外に変更されたという。なお、心字池は本丸跡にあるが、学校の正門よりも浅間神社から入ったほうが近い。


梁川城心字池
本丸跡の一番の遺構は画像の心字池で、池の傍の桜も満開だったため、なかなか見事な景色だった。なお、池の背後の土塁には石垣もあり、そこには櫓があったとされている。


梁川城本丸切岸
本丸はちょうど台地の端にあり、台地沿いの桜もなかなか綺麗だった。台地から低地に降りた場所は三の丸の跡で、その外側にさらに外郭が設けられていた。ただし、三の丸跡と外郭跡は梁川の街となって埋もれてしまっており、特に見所となるようなものは見つけられなかった。


梁川城の空堀
本丸跡から台地の北側に移動すると侍町と呼称されていた出丸のような一角があり、ここには見事な空堀と土塁が残されていた。出丸の中には枡型虎口があり、画像の中央あたりには虎口から外に続く橋が架かっていたようである。


梁川城枡型
出丸に残る枡型は形が判るほどハッキリ残っており、なかなか大きく見事な遺構だった。この枡型に連結する土塁もよく残っており、梁川城ではこの辺り一帯が最も遺構がよく残っていた。なお、郭内部は現在は団地となっている。