12月23日肥の国旅行・その5(熊本県天草市)2011年12月31日 17時01分39秒

富岡城から下山した後は再び来た道を戻り、天草の本渡へと立ち寄った。ここの本渡城址へ寄るのが目的で、ここは現在は天草殉教公園となっていた。


キリシタン千人塚
城址の南端の郭跡とされる場所には現在はキリシタンの千人塚があり、「天草の乱」よりも昔に殉教した人々を埋葬した塚だという。


本戸城址碑
千人塚が目立ちすぎて見落としそうだが、本戸城(本渡城)の石碑もちゃんと設置してあった。


キリシタン館
千人塚より北側の高台にはキリシタン館があり、館を建てる前に行われた発掘調査では土師器や青磁器などの城跡を裏付ける遺物が発掘されたという。このため、ここが本渡城の本丸ではないかとされるが、まだ決定には至っていないという。キリシタン館は当初は宗教施設と勘違いしていたが、内部を見てみたらかなり立派な天草についての歴史資料館で、これは予想外の良い収穫であった。


木山弾正を祀る神社
キリシタン館の裏に回って見ると、本戸城の城址碑と木山弾正を祀る社があった。木山弾正は天草氏の客将として本渡にやってきた人物で、仏木坂の戦いで加藤清正に討ち取られた武将である。ちなみに、これが原因で木山弾正の子の横手五郎が加藤清正に仇討ちするために熊本城に忍び込んだ件に繋がっているのである。


木山弾正の墓
キリシタン館よりも北側の墓地を抜けて登った山頂が、広義の本渡城の本丸とされている場所であり、ここには木山弾正の墓があった。説明板は要約すると『加藤清正と一騎打ちして勝ちそうになったが勘違いした部下に足を引っ張られて討ち死にした』という残念な死因が書かれており、なんともいえないものがあった。

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