1月10日初詣と秦野・伊勢原散策・その7(神奈川県秦野市)2011年01月20日 02時21分21秒

源実朝公御首塚
【源実朝公御首塚】

波多野城址の散策後は、川を渡って東田原地区へ移動し、源実朝の首塚へと立ち寄った。源実朝は鎌倉幕府を開いた源頼朝の次男で、3代目の鎌倉幕府将軍となったが、鎌倉八幡宮へ参拝した時に甥の公暁に襲われて絶命し、その御首は公暁を討ち取った武常晴によって取り戻され、生前に実朝が親しくしていた波多野忠綱の元へ届けられたという。その御首が埋葬されたのがこの首塚だと伝わっている。

なんで鎌倉から離れたこんな辺鄙な場所に将軍の首塚があるのかと不思議だったが、当時の情勢を読み解くと、幕府の有力者であった北条氏は政治に口出しし始めた源実朝を疎ましく思っており、御家人の多くが北条氏になびく中、源実朝が頼れる御家人は少なかったようである。そもそも公式参拝中に将軍がたった1人に暗殺される時点で、その窮状が伺えるのである。そう考えると、確かに「せめて御首だけでも信頼できる人物の元に」と考えた武常晴の気持ちも判らないわけでもない。

この場所を訪れてさっそく首塚を拝んでみたが、周囲が綺麗に整備されているのは良いことだと思うのだが、整備されたふるさと公園等が隣接して塚の周りが観光スポットのようになっているのは少々複雑な気分だった。