2月1日奥羽古城散策更新2011年02月03日 01時48分17秒

奥羽古城散策
http://www.ne.jp/asahi/saso/sai/

今回の更新では氏族・人物データに会津の伊南の河原田氏を追加しました。河原田氏は小山氏の一族で、奥州では白河結城氏や長沼氏、上遠野氏と同族ですが、奥州に所領を得て下向した経緯には少々謎があります。定説では河原田盛光が奥州合戦で戦功を立てて伊南を賜ったことになっているのですが、『吾妻鏡』等にはそれが見えない上に系図も複数あって河原田氏の始まりについても説が別れるためなのですが、幸いにも小山氏一門の出自というのだけは確かなようです。

・・・で、河原田氏について一番興味を持ったことは河原田氏一門の中に浜野氏(濱野氏)が居ることで、去年の伊南の旅の時にはそこまで行けなかったのですが、古町からさらに上流に行った場所に浜野の地があります。

興味を持ったわけは管理人の貞庵の姓が「浜野(濱野)」だからなのですが、今までは下総国の浜野郷がご先祖様の出発点だと思っていたものの、河原田氏のおかげで会津の浜野郷が始まりの地ではと思うようになったからです。それというのも、自分の故郷がかつて斗南藩だった場所で、会津とは無縁では無かったことが理由になるのですが・・・。まぁ、実証できるような資料は何も無いのでただのロマンになりますけどね。

2月11日奥羽雪祭りの旅・その1(青森県弘前市)2011年02月15日 01時56分11秒

弘前城の二の丸の雪像と本丸天守閣(奥)
【弘前城雪燈籠まつり】

2月の3連休は奥羽各地の雪祭りを見るために出かけてきました。初日はつい2ヶ月前に開通したばかりの新青森までの新幹線に乗って移動し、新青森から弘前へと向かった。目的は「弘前城雪燈籠まつり」の見物である。

「弘前城雪燈籠まつり」を見るのは今回で2回目となるが、前回訪れてから既に十数年経っており、記録も過去のPCトラブルで失われて残っていない状態だった。

弘前駅からは土手町循環バスに乗って市役所前まで移動し、三の丸追手門から城内へと移動したが、追手門は十数年前同様に大きな雪燈籠が一つある景色で、概ね変化は無い様だった。

城内は三の丸の二の丸水堀に近い場所から燈篭が沿道に並んでおり、雪像の作成者は企業から学校や公共機関等の団体と様々で、雪像自体も基本的に燈篭が多いものの、燈篭以外のオブジェも多かった。これらは橋を渡って二の丸まで続いており、なかなか見ていても楽しいものだった。

2月11日奥羽雪祭りの旅・その2(青森県弘前市)2011年02月16日 00時54分23秒

弘前城天守閣の雪像
【弘前城天守閣の大雪像】

雪灯篭を見ながら弘前城本丸西端へと辿り着くと、なにやら「雪灯り」の撮影場所を示した看板があった。その場所からは眼下に無数の小さなかまくらが見えたが、どうやらそれらは夜にライトアップされるのだという。

本丸の北側にある北の郭にも雪灯篭とは違うライトアップ前提の雪像が多くあり、この一画だけ周囲と雰囲気が違う感じになっていた。おまけに城内で祈祷を行っていた館神跡は、「キャンドルを置いて願いを叶えよう」とうなんだかロマンティックな場所に変貌しており、為信公も苦笑いをしそうな妙な光景だった。

北の郭から二の丸へ出て北に向かうと、少し低くなった平地に四の丸があり、ここにはイベントステージや出店、そして大雪像等があり、ステージではちょうどローカルタレント?の黒石八郎の歌とトークショーが行われていた。なお、今年の大雪像は弘前築城400年記念で「弘前城の天守閣」だった。この雪の天守閣は平地に立っているため違和感があるが、なかなか立派な出来栄えで見事なものだった。

2月11日奥羽雪祭りの旅・その3(青森県弘前市)2011年02月17日 00時39分16秒

弘前城北の郭の夜
【灯かりの燈った雪像】

出店で買い食いしつつ、ステージで行われているりんご娘などのイベント見ているうちにあっという間に時間が過ぎていったが、日が沈むまではまだまだ時間があったため、博物館や市民会館などにも行って時間を潰したが、思いのほか疲れが溜まっていたらしく、いつの間にかベンチで眠りこけてしまっていた。おかげで目が覚めた頃にはすっかり外は真っ暗な状態となっていた。

夜の弘前城は昼間とは雰囲気が全く違い、うっすら光る雪灯篭や雪像、そしてライトの光を受けて輝く雪などがなんとも幻想的な風景を作り出していた。中でも北の郭は燈篭以外の雪像のライトアップが多いためか、一際賑やかな空間となっていた。

2月11日奥羽雪祭りの旅・その4(青森県弘前市)2011年02月18日 00時48分18秒

館神跡の夜
【館神跡】

夜の弘前城はまことに幻想的だったが、そんな中で一際驚かされたのが館神跡であった。元々は弘前城の神事が行われていた社があった場所だが、今は建物は残っておらず、建物と鳥居の跡が杭で示されているだけの場所である。そこが、夜になった途端青のダイオードで彩られた煌びやかな場所に変貌しており、なかなか綺麗であったがどこか複雑な気分にさせられる光景でもあった。

城内をざっと南から北へ移動した後、最後には西堀付近の300のカマクラからなる雪明りを見に向かったが、これもまた見事な光景であった。むしろ、これだけのカマクラ一つ一つにキャンドルを入れて火を付けた手間に賞賛を送りたいくらいである。