三連休遠征・最終日編(岩手県)2007年03月03日 02時01分34秒

駐車場付近にある飛勢城の碑
三連休最終日は当初は盛岡より北の方へ行く予定だったが、天気予報などを考慮した結果、北上市にある和賀氏の城を巡ることに決めた。

まずは村崎野より二子和賀氏の居城の飛勢城を目指すが、地図で指定された場所に向かうと浄水場などがあり、一目見て「城跡の表示がずれたのだろう」と判断できたので付近をさらに周って見ると、「和賀氏ゆかりの史跡 監物館跡」という標柱を発見できた。これは帰ってから調べてみても判らなかったので、おそらく和賀氏家臣の監物の役職の人が住んでいた居館だろう。ここから北側へ向かうと小山があったので登ってみたが、単純な独立した小山で麓に「物見ヶ崎」という表示があり、金毘羅神社(※)の鳥居などがあった。帰ってから調べてみた所、どうやら北上川の水運を監視していた所らしい、おそらく和賀氏も烽火や物見の出城として利用していたのだろう。(※金毘羅神社は水上安全を司る神社でもある。)

物見ヶ崎より北には城らしい丘陵が無いので、物見ヶ崎より南に離れた場所にある丘陵に登って見ることにした。ここの丘陵の上には巨大なタンクがあり、どうやら水道局関連の施設らしい。タンクの隣には小さな神社があり、丘陵の斜面には郭の跡らしい物が確認できた。当日はさっぱり判っていなかったが、帰ってから調べたところここが飛勢城のある二子山の西の山であり、城の主郭は東の山にあるため、ここは物見的な施設だったという。

水道タンクのある西の山を散策した後は、道路を挟んで東側にある山に登ったが、ここがどうやら飛勢城跡らしく、少し登った広場でやっと飛勢城址の碑を確認できた。できれば坂の下の道路の入り口あたりにでも城址の標識が欲しいものである。飛勢城は二子山の東の山の頂上に主郭があり、今は主郭の南側に神社があって、北側には展望台がある。雪が降る生憎の天気で展望は悪かったが、ここからは花巻方面や北上川がよく見え、晴れていれば良い景色が見られそうである。主郭の北には堀切を隔てて3段の郭があり、山の斜面には北側から西側を通って南側まで横堀が続いている。山の北側同様に南側も数段の郭があったようで、駐車場付近の斜面には登城路とも思える竪堀がある。なお、山の東斜面に折れ曲がった登城路が残っており、この道を横切るように神社の階段が続いている。神社の階段を降った先は家臣の屋敷等があった地区であり、和賀氏の平時の居館である白鳥館も台地の北東にあり、現在は和賀神社が祭られている。ここの台地より東側には低地が広がるがここが二子宿であり、かつての飛勢城の城下町でもある。現在は城下町らしいものはこれといってないが、かつての船着場付近には橋がかかり、今も街道の通る街並みとなっている。

二子宿を散策した後は雪中行軍も体力的に限界に近いので、飛勢城の北側の道を通り村崎野へと戻ることにしたが、この北側にも「加賀館跡」なる標柱を発見した。前述した「監物館跡」同様に、ここも「加賀守」の役職を名乗った和賀氏家臣が住んでいた居館であろう。館跡は車道によって削れているようだが、堀や塁壁らしきものがいくつか確認できた。

飛勢城から村崎野へ戻り、再び北上市街へと戻ったものの、天候が回復しないことと、三日間の疲れが溜まり体力的に問題があるため、時間はまだあったが今回の城廻の旅はこれでお開きにすることにした。

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