11月23日九州紅葉の旅・その3(熊本県人吉市)【人吉城】2014年12月02日 23時28分57秒

街から胸川に架かる大手橋を渡った先は人吉城の城内であり、この日のメインの目的地であった。


胸川と石垣と多聞櫓
橋からは川岸に聳える石垣と復元された多聞櫓がハッキリ見えるため、城跡に来たことが実感できて気分が高鳴るには十分だった。ちなみに多聞櫓の中に入ることもでき、中には祭用と思われる甲冑や、釜の遺物、ジオラマ等が展示されていた。


角櫓
復元されているのは多聞櫓だけではなく、北西隅には角櫓も復元されていた。ただし、こちらの方は多聞櫓と違って内部は開放されていなかった。


人吉城歴史館
城内の相良清兵衛屋敷跡には歴史館が建てられており、中には人吉城と相良氏関連の展示があってなかなか興味深かったが、中でも目を引いたのは相良清兵衛屋敷の地下室遺構で、用途が謎なのも気になったが、思ったより広いのもまた印象深い遺構だった。


御館の堀
城内の平地はかつて一族重臣の屋敷があった場所だが、山に隣接する麓には城主の御殿があり、今もその御殿の周囲には石垣が良く残っていた。南側には水堀も残っており、この周辺の木々はちょうど紅葉して綺麗だった。


御館の庭園
御殿跡は今は神社となって御殿関連の建物は残っていないが、唯一庭園だけが当時の景観を今に残していた。庭園では水面に写る紅葉がなかなか良かった。


於津賀社跡から見た三の丸と二の丸
御殿跡からは三の丸へと登る山道と階段があったが、これは恐らく現代に造られたものだろう。その階段を登った先にある三の丸はなかなか広々としており、山の上とは思えないほどだった。画像手前は於津賀神社があった場所で、奥の石垣の上が三の丸、左奥のさらに高い場所が二の丸。


中の御門
二の丸へと登る途中にある「中の御門」の枡形はまさに近世城郭といった造りで、けっこう見ごたえがあった。


本丸跡
二の丸からさらに小さな階段を登った先の山頂が本丸跡で、石垣でしっかり固めている二の丸、三の丸と違って自然地形のままで雑な感じだが、当時は祈祷などに使用したとされる宗教関連施設があっただけの場所だったという。ちなみに最高所ではあるが展望は悪く、二の丸か三の丸から見る城下の景色の方が良かった。


御下門上の登城路の椛
帰りは御下門から続く山道から下山したが、この道中に椛が密集しており、なかなか見事な紅葉が見られた。


紅葉
御下門の周辺の麓一帯にも紅葉した木々が連なっており、この辺りの紅葉の景色もなかなか素晴らしいものがあった。


複製された堀合門
武家屋敷に移築された堀合門は元々城内にあったもので、今は元あった位置に堀合門を複製した城門が建てられていた。


はねだし石垣
なお、堀合門の隣では「はねだし石垣」を見ることもできた。なお、この付近には船で出入りするための「水の手門跡」もあるため、人吉城では重要な見所スポットだと言える。

11月23日九州紅葉の旅・その2(熊本県人吉市)【人吉城下町】2014年12月01日 23時31分19秒

初日は綾町と宮崎市内を散策し、夕方に加久藤盆地に移動して京町温泉に泊まった。そして2日目は日本三大車窓の肥薩線矢岳越えを通り、人吉盆地へと移動した。実は途中の車窓から霧の海に沈む加久藤盆地と遠くに聳える霧島連峰というなかなか幻想的な風景を見ることができたのだが、初めてで事前知識が無く、かつ移動中の車内だったため上手く写真に残すことが出来なかった。


人吉駅前
人吉駅に到着して駅を出ると、駅前には城下町らしい洒落た時計台があった。地味に人吉城のはねだし石垣をリスペクトしてるのが面白い。


中川原公園
城下町から球磨川を渡って南岸の武家屋敷のある方面を目指したが、橋を渡る途中で球磨川に大きな中州があるのが見えた。後で資料館に寄った時に判ったことだが、この中州は江戸時代の絵図にも見えており、当時の城下町と城を繋ぐ橋が架けられていた。なお、その橋は西南戦争で焼失している。


永国寺
球磨川南岸に渡りまず向かったのが永国寺で、西南戦争では西郷隆盛の本陣がここに置かれていたという。寺は観光客にも開放されており、奥の庭園が見える部屋まで中に入れるとの誘導もあったので、せっかくなのでお邪魔することにした。


永国寺の庭園
正直なところ予定には無かった寄道だったが、寺の裏にある庭園の池の周りの木々はちょうど紅葉しており、なかなか見事な景色を見ることができたのは良い収穫だった。


永国寺山門から人吉城を望む
寺の山門からまっすぐ伸びる道の先にある山が人吉城で、その手前に広がるのがかつて武家屋敷が立ち並んでいた一帯である。


堀合門
その道の中間あたりにあるのが現在唯一残る武家屋敷で、その屋敷の門は人吉城の堀合門を移築したものだという。つまり、この門が人吉城の唯一の現存建造物ということにもなる。余談になるが、この屋敷の前にはデカイ総合病院があり、景観的に両者は真逆で合わないため、これは地味に衝撃的な光景であった。


胸川と大手橋
武家屋敷からさらに東へ移動すると胸川に辿り着くが、ここより先が人吉城跡の縄張りであり、画像の対岸に見える石垣が大手口の跡である。

11月22日九州紅葉の旅・その1(宮崎県綾町)【綾城】2014年12月01日 00時52分53秒

11月後半の三連休は久しぶりに暇が出来たため、秋を求めて九州へと出かけて来た。今年も引き続き忙しい日々が続いたため、秋を満喫する間も無くあっというまに関東も東北も落葉してしまったため、それならいっそと秋真っ最中の九州に飛んだわけである。

初日は空路で宮崎入りし、宮崎市街の紅葉はまだ微妙だったので、山側へ向かった場所にある綾町へと向かった。もちろんこの場所にある中世の城である綾城が目当てである。


銀杏と綾城
綾城へ向かう途中に大きな鳥居があり、その鳥居の側に銀杏の木があったのだが、残念ながら黄葉が終わって落葉が始まっている感じだった。画像はその銀杏の木越しに綾城を望んだ景色。


堀切跡を通る車道
綾城のある台地へと登る道は車道くらいしか見当たらなかったので、その車道を登って向かったが、おそらく画像の道は堀切跡を拡張して車道を通したものだろう。画像右側が三の郭で、左側が四の郭である。


国際クラフト城入口
三の郭から主郭までの一帯は有料区画となっており、入口には冠木門風のゲートがある。ゲートの看板に「綾城」「国際クラフトの城」とあるが、後者は二の郭跡に建てられた工芸館のことである。ちなみに画像とは逆の四の郭の方は駐車場と民家となっている。


模擬城門
三の郭は冠木門だったが、二の郭の入口は薬医門が建てられており、模擬城門とは言えなかなか凝った造りになっているのには感心させられた。まぁ、伊東氏の家臣の綾氏の居城にしては少し重厚すぎる気もするが・・・。


堀切
綾城跡にはとにかく堀切と土塁がよく残っており、前述の三の郭と四の郭間は車道で破壊されているものの、他の郭の間にはしっかり画像のような堀と堀に面した土塁を見ることができた。


移築学校
二の郭内には「国際クラフトの城」と呼称する工芸館があるが、その工芸館の隣には地味に昔の学校の建物を移築した記念館があった。城跡とは関係無い建物ではあるが、それでも赤ポストも含めてなかなか味のある景観だった。なお、二の郭跡には井戸の遺構がしっかり残っていた。


綾城天守閣
二の郭跡の国際クラフトの城の前を右に曲がりさらに奥に進むと堀切を渡った先の主郭に辿り着くが、ここに麓から見た望楼型天守閣が建てられている。もちろん綾城にこのような建物があった記録は無いため、これも模擬建造物なわけであるが、建造には日本城郭協会の人が携わったらしく、かなり本格的な木造の建物となっていた。模擬建造物でこれほど本格的で驚かされたのは伊賀上野城以来である。


天守閣からの眺め
天守閣内部は資料館となっており、地形模型などもあってなかなか参考になったが、やはり見所は最上階からの展望であた。ここからは綾の街がある盆地が一望でき、まさに領主の居城に相応しい眺めであった。

綾城散策は想像していたよりも楽しめたのだが、当初の目的である紅葉はほとんど見られなかったため見込みが甘かったことを痛感させられた。

11月3日三連休行き当たりばったり旅【稲取細野高原】2014年11月10日 00時15分18秒

先週の三連休は久々に休みが取れてどこかに出かけれそうだったのだが、天気予報では全国的に雨の予報だったため、それなら温泉でゴロゴロしようと伊東温泉に宿泊した。初日は移動のみ、2日目は宿と近場でゴロゴロ、そして3日目は朝から晴天に恵まれたため、予定には無かったが何処かに出かけようと伊東駅に行ったところ、伊豆急行がやたらと稲取細野高原を宣伝していたのでそこに行って見ることにした。


細野高原から見た三筋山
伊豆稲取駅からバスで細野高原へと登ったが、道中で対向車が来る可能性がある車一台がやっとの道を中型バスでぐいぐい登って行くため、なかなかヒヤヒヤするものがあった。まぁ、細野高原に着いた後にシャトル便で三筋山の山頂手前まで送ってもらえるのだが、これもまた凄い細い九十九折の道を大型タクシーの車両でぐいぐい登っていくため、ヒヤヒヤすると同時にその運転に感心させられるものがあった。画像は細野高原から見た三筋山。


三筋山山頂
山頂手前まで車で送ってもらった後、寄道も含めて徒歩20分ほどで山頂に到達。小さな展望台があるが、登らなくても十分眺めは絶景であった。ただ、残念なことに山頂についた途端、太陽が雲に隠れてしまい晴天な景色を撮ることが出来なかった。


山頂から稲取岬を望む
山頂から稲取岬方面を見た景色。山の斜面一面に広がるススキも素晴らしかったが、眼下に広がる細野高原と伊豆の海も素晴らしかった。強いて言えば、伊豆諸島の島々が霞んでハッキリ見えなかったのが残念な点であった。


三筋山中腹のススキヶ原
帰りは徒歩で登りとは別のルートから下山したが、中腹まで降りてやっと太陽が雲から顔を出した。この傾きかけた陽の光がススキにあたり、黄金の景色になってなんとも秋らしい素晴らしい景色が見られた。やはりススキには暮れかけた太陽の光が良く似合うと思う。


三筋山中腹のススキヶ原2
登る前に地元の方は「箱根の仙石原よりも凄い」と言っていたが、散策してみてその言葉も過言じゃないなということがよく判った。ちなみに個人的には山の中腹の徒歩でのみ移動できる一帯のススキが素晴らしかったので、行きで徒歩はさすがに辛いが、帰りは徒歩のほうが楽しめる気がした。

9月7日山形旅行・その4【山形城】(山形県山形市)2014年09月18日 00時17分59秒

川西ダリヤ園を散策した後は置賜を抜け出して山形市へと向かった。目的地は山形城であるが、栄屋本店の冷やしラーメンが食べたくなって七日町まで移動して行列に並んだため、2時間ほど時間を浪費してしまった。山形城跡に着いたのはやや日が傾きかけた頃で、さっそく最近完成した一文字門目指して移動した。


山形城一文字門
本丸発掘後、一文字門は度々復元が行われていたが、最近土塀が出来て一応完成となった。厳密には櫓門(一文字門一の門)が復元されていないので完全な復元では無いが、櫓門は文献等の歴史資料が足りないため復元出来ないのだという。山形城は二の丸東大手門が復元されているが、あちらが内枡形なのに対してこちらは外枡形であり、対比してみると面白い。


山形城本丸井戸
昔は一文字門に入れてもその先の本丸には説明会の時しか入れなかったが、今は遊歩道が解禁されており、未だ発掘途中の本丸の様子も確認することが出来た。画像は本丸で発掘された井戸の跡。


山形城本丸西内堀
本丸跡内部を散策後、内掘跡の西側へと移動したが、以前発掘調査が行われていた堀の内部は草が覆い茂る窪地と化し、堀の外が新たに公園らしく整備されていた。そして堀の奥は新たに発掘が行われており、そこだけは土色の窪地となっていてなかなか面白い光景だった。