貞観地震と大津波について2011年03月14日 10時30分22秒

どうも報道などでは「1000年に一度の地震」という言葉が独り歩きしているようなので、ちょっと歴史の観点から記述しておきたいと思う。

これは1000年前に同じ場所(宮城県沖)で同種(プレート連動型)の地震があったことを指して「1000年に一度の地震」と言っているのであり、1000年に一度の確率の大災害というわけではない。同じ規模の災害は歴史上、違う場所で何度か起こっているのである。

では、1000年前に同じ場所で起こった地震は何かというと、平安時代の869年の貞観地震と考えられており、古文書の「三代実録」にはその時の被災状況が記録されている。それによれば、強い地震の後に多賀城の城下町が津波に飲まれて多数の人々が亡くなったと記録されている。

これは地質考古学の調査からも確認されており、仙台平野の海から3kmの位置まで津波が来ていた痕跡が発見されている。現在の多賀城跡は海から4kmほどの位置にあるが、当時の海岸はもっと内陸にあり、実質は1.5~2kmほどである。

貞観の大津波については確か現地の多賀城址(東北博物館の展示だったかも)の説明にも書かれており、多賀城を散策した時はこの辺り一帯が津波に飲まれたということがあまり信じられなかったが、今回の地震の津波の映像を見てやっと貞観の大津波の記録を信じることが出来た。今回の津波は実に仙台平野の海岸から6kmの場所まで飲み込んでおり、今回の津波がいかに恐ろしいものだったか確認できる。

なにはともあれ、今回の地震は貞観地震よりもさらに規模の大きな地震であり、歴史上でも最悪の地震である。今も被災地は大変なことになっているが、自分にできることがあまり無いのがなんとも歯がゆくて悔しい。