3月2日奥羽古城散策更新2011年03月03日 01時34分32秒

奥羽古城散策
http://www.ne.jp/asahi/saso/sai/

今回の更新では1月に訪れた秦野と伊勢原の城址5箇所を「その他地域」の関東地方に追加しました。上杉氏館と波多野城に関しては発掘調査から伝承の裏付けが取れていないことが共通しており、実際縄張りには疑問点が多かった。東波多野城は3つの山に跨る広い縄張りを持っているにも関わらず歴史が謎であり、中丸遺跡は発掘調査で鎌倉時代の館跡が見つかったがこれも歴史が謎となっている。なんだかんだで結局確実に城跡と呼べる場所は丸山城だけで、ここは最近整備されたばかりの城址公園となっていたが、城跡としてはシンプルな構造の縄張りだった。

3月7日奥羽古城散策更新2011年03月08日 00時57分57秒

奥羽古城散策
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ふと気づくと、もうすぐ桜の季節・・・(河津桜系は既に散っていますが・・・)。というわけで、特集のページの「桜の綺麗な城址」を思い出したように更新して、10城ほど追加しました。内訳は秋田県が6城、宮城県が3城、青森県が1城となっており、大半が秋田県からの追加となっております。

秋田県の新規追加では横手城、大森城、八乙女城、本荘城、久保田城が桜が多くて楽しめましたが、城跡としては横手城、本荘城、久保田城の近世まで使用されていた城のほうが遺構などの見所は多いです。秋田城は古代城柵としては復元遺構も多くて楽しめるのですが、桜の方は公式の数字よりも少なく感じました。さらに一部に天狗巣病の酷い木があったのでちょっと個人的には印象が悪くなっています。

宮城県からは仙台城、村田城、蓑首城(坂元城)を追加していますが、仙台城はそれほど桜が多いわけじゃないので評価は微妙なところです。まぁ、川の対岸の西公園が桜の名所で宴会のメッカなので住み分けているとも言えますが・・・。村田城は予想していたよりも桜と遺構が楽しめたので良かったのですが、ちょっと場所が悪いのか地元の人が散歩に訪れる程度となっています。まぁ、すぐ近くに白石川一目千本桜などがあるので、騒ぎたい方や観光客は皆そっちに行くためだと思いますが・・・。あと、蓑首城は本丸跡の神社の部分の桜がメインで他の城址と比べると少ないのですが、立地と落ち着いた雰囲気が個人的に気に入ってます。

最後に青森県から追加した浪岡城ですが、ここは完全に穴場でした。桜の名所にも青森の観光情報にも載ってないのが不思議なくらいですが、城跡と近くの川沿いの桜が綺麗で良かったです。なお、訪城時は基本的に観光客は全くといっていいほど居らず、居るのは地元の方々ばかりでした。

観測史上最大の地震2011年03月12日 05時56分10秒

数年前から「三陸沖で今後30年の間に巨大地震が起きる確率は99%」と発表されてきましたが、仙台に住んでいた頃にはあまり実感していませんでした。しかし、今こうして大震災を目の辺りにすると恐怖で震えがとまりません。

なにより自分が生きているうちにM8.8という観測史上最大の地震が起きるだなんて想像すらできていませんでした。余震ですらも通常の大地震並みの震度で頻発しており、しかも続けて別の地域でも大地震が起きるという最悪の展開となっており、不安を掻き立てられる一方で全く眠れません。

普段なら文化財の心配をするところですが、もうそれどころじゃないため、落ち着いたら整理してみたいと思います。

奥羽と信越の被災地の方々はまだまだ大変でしょうが諦めずがんばってください。

貞観地震と大津波について2011年03月14日 10時30分22秒

どうも報道などでは「1000年に一度の地震」という言葉が独り歩きしているようなので、ちょっと歴史の観点から記述しておきたいと思う。

これは1000年前に同じ場所(宮城県沖)で同種(プレート連動型)の地震があったことを指して「1000年に一度の地震」と言っているのであり、1000年に一度の確率の大災害というわけではない。同じ規模の災害は歴史上、違う場所で何度か起こっているのである。

では、1000年前に同じ場所で起こった地震は何かというと、平安時代の869年の貞観地震と考えられており、古文書の「三代実録」にはその時の被災状況が記録されている。それによれば、強い地震の後に多賀城の城下町が津波に飲まれて多数の人々が亡くなったと記録されている。

これは地質考古学の調査からも確認されており、仙台平野の海から3kmの位置まで津波が来ていた痕跡が発見されている。現在の多賀城跡は海から4kmほどの位置にあるが、当時の海岸はもっと内陸にあり、実質は1.5~2kmほどである。

貞観の大津波については確か現地の多賀城址(東北博物館の展示だったかも)の説明にも書かれており、多賀城を散策した時はこの辺り一帯が津波に飲まれたということがあまり信じられなかったが、今回の地震の津波の映像を見てやっと貞観の大津波の記録を信じることが出来た。今回の津波は実に仙台平野の海岸から6kmの場所まで飲み込んでおり、今回の津波がいかに恐ろしいものだったか確認できる。

なにはともあれ、今回の地震は貞観地震よりもさらに規模の大きな地震であり、歴史上でも最悪の地震である。今も被災地は大変なことになっているが、自分にできることがあまり無いのがなんとも歯がゆくて悔しい。

東北関東大震災における奥羽各地の城址の被害状況2011年03月20日 06時10分31秒

現段階で被災地入りするのは現地で働いている方々の迷惑になるため、まだ直接現状が把握できませんが、やっとボチボチ城址の被災状況が判って来ました。

秋田城・・・築地塀が一部剥離。
岩出山城・・・藩校・有備館が倒壊。
仙台城・・・本丸北西部の石垣と大手隅櫓の一部が崩壊。
白石城・・・大櫓の壁に亀裂。
白河城・・・石垣が数箇所に渡って崩落。
若松城・・・天守閣の壁と塩蔵に亀裂。

この中では白河城(小峰城)が被害が心配で、この城独特の『同心半円型落とし積み石垣』(通称:鷹の目石垣)も崩れてしまったそうです。修復するにしても果たして以前の積み方を再現できるのか不安でなりません。

仙台城も石垣が崩れて車道を塞いだそうですが、積み直したばかりの石垣は無事だそうです。本丸の崩落した石垣は以前からいつか車が石垣に突っ込むんじゃないかと思ってた辺りで、歩道が無いため本丸西ノ門などを見るために散策した時は車に気をつけないといけないほど危険な場所でした。まぁ、本丸西ノ門は閉鎖されて立ち入り禁止ですし、見に行くのは同じ穴の狢くらいでしょうけど・・・。

あと、岩出山では有備館が倒壊したそうで、噂では建物の柱がことごとく折れてしまったとか言われており、画像を見ないことには信じられませんがこれも心配なところです。

情報が入ってこない場所で不安な場所は震源に近い涌谷城ですね・・・あそこには貴重な太鼓櫓や勾配のきつい現存石垣がありましたが無事でしょうか・・・。あと、石垣だと金山城、二本松城、平城あたりも心配なところです。