1月10日新年初遠征・初日編(群馬県高崎市) ― 2009年01月27日 21時21分18秒
■新年初遠征
新年最初の遠征は上野国へと行ってきた。水上方面の上牧温泉に行くのが目的だったが、途中でかつての(カメラが壊れた)因縁の地の高崎城へと立ち寄った。
【高崎城跡訪城】
高崎城跡は大部分が市街地化し、三の丸の土塁と外堀の大部分が残っているおかげで城の輪郭が確認できるが、三の丸より内側には官公庁の建物が乱立し、どこが本丸跡で二の丸跡かさえも判らない状態だった。
三の丸東端の大手口付近には本丸隅櫓(乾櫓)と三の丸東門が移築されているが、櫓は元々本丸の土塁の上にあったもので、模擬石垣の上に櫓がある今の風景は明らかに一般人に誤解を与えそうである。
三の丸の遺構を見た後はさっぱり面影の無くなった二の丸跡、本丸跡を通って西郭跡へ向い、高崎城の前身の旧和田城の櫓台跡を探したが、こちらは発見できなかった。
全体的に非常に勿体無く残念な城ではあるが、市街地化で完全に消滅した城郭も多いので三の丸の土塁と堀が残っているだけでも幸運だったのかもしれない。
新年最初の遠征は上野国へと行ってきた。水上方面の上牧温泉に行くのが目的だったが、途中でかつての(カメラが壊れた)因縁の地の高崎城へと立ち寄った。
【高崎城跡訪城】
高崎城跡は大部分が市街地化し、三の丸の土塁と外堀の大部分が残っているおかげで城の輪郭が確認できるが、三の丸より内側には官公庁の建物が乱立し、どこが本丸跡で二の丸跡かさえも判らない状態だった。
三の丸東端の大手口付近には本丸隅櫓(乾櫓)と三の丸東門が移築されているが、櫓は元々本丸の土塁の上にあったもので、模擬石垣の上に櫓がある今の風景は明らかに一般人に誤解を与えそうである。
三の丸の遺構を見た後はさっぱり面影の無くなった二の丸跡、本丸跡を通って西郭跡へ向い、高崎城の前身の旧和田城の櫓台跡を探したが、こちらは発見できなかった。
全体的に非常に勿体無く残念な城ではあるが、市街地化で完全に消滅した城郭も多いので三の丸の土塁と堀が残っているだけでも幸運だったのかもしれない。